2007年3月11日日曜日
洗務
レストランの中で最も影の役割ではあるが非常に重要な位置がる。それは皿洗いだ。この洗い場の位置をマネージャーとしてどう捉えるか、そこを担当する従業員にどう接するかで店内での流れが決まる。洗務(皿洗い)は一般的に最も低い位置にある。自分は何の能力も技術も無い、生活の為にとりあえずと言う思いがあってこの職を選ぶ。洗務に限らずレストランで働く者の殆どの動機はそんなものであるが洗務は最たるものだ。だから従業員ひとりひとりが店内での自分の位置付けをする時彼を誰よりも下に置く。そして彼本人も自分が一番下だという意識がある。この位置付け意識を変えようとしてもできないし変える必要はない。あって当然だ。それを認めて接し方を考える必要がある。自分は洗務以下ではない、と言う意識が皆にあるから洗務の姿勢、態度、貢献意識など全てが全体の姿勢、態度、貢献意識の底上げとなる。マネージメントサイドで何も言わずとも洗務の仕事に対する取り組みが従業員のプレッシャーとなる。洗務の仕事内容への目配りも勿論大切ではあるが、そういう意味で彼への接し方が大変重要である。上から下に流れていく意識やエネルギーもあれば下から上に流れていく意識やエネルギーもある。大量の皿と格闘している洗務を見て、洗務に一生懸命接しているマネージャーを見て、あるいは詰まった下水を汚水をかぶりながら直している姿を見てより内的な本質的なエネルギーを得る。ここには底辺にも愛のエネルギーがあることを従業員は感じる。皿洗いはそれ自体単純作業だ。普通の人間なら直ぐ飽きる。飽きると雑になる。雑になると気分も雑になる。続かない。他の業務に比べてターンオーバーも激しい。だからマネージャーは少々の雑なところも目をつぶる。しかしそこが店にとってネックとなりうる。水漏れがあれば金が漏れていることを暗示しているように水を最も使う洗い場の担当が雑だと金も漏れ運勢も漏れる。成長するに仕事が複雑である必要はない。単純作業であればこそ内的により成長する、こともある。没頭することで瞑想に近い感覚を味わえる。最近トイレ掃除で心を磨くと言う本が人気を呼んでいるが、一つ一つの皿を綺麗にしていくことで自分の心も磨くことが出来る。洗務を真面目に続けている人間に悪い人はいない。マネージャーの仕事は仔細多岐にわたる。これで良しという線が引かれることは無い。ストレスを抱え込んで病む。しかし任せることが出来る内外の体制を造って任せることに拠ってマネージャーの余裕を造ることが必要だ。そうして店を表面的に捉えるだけでなく、より掘り進んで表面の下に流れるものを観察できるよう内的感性を磨く。洗務のその位置を意識することで店の中の流れが変わるかも知れない。ちょっとした事が元で店が傾くが、ちょっとした意識が売り上げを根底から変える起爆剤となる。
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