2008年1月14日月曜日

活きた会議、死んだ会議

会議の場で社長の話を聞けばその意味することは良くわかる。そこにTPの想いが伝わり感じられる。しかし一段降りて経営状況の話になってくるととたんにビジネスライクな事に終始する。そこにTPの想いが入る余地はない。売上げ一辺倒、利益一辺倒の世界である。TPの想いを汲んだ社長の話と経営状況の会議との間に大きなずれが見える。そこに有機的関係は見出せない。ビジネスはビジネスだという感覚を誰もが当然のようにその根底に持っている。その様を見れば気持ちが悪くなる。死んだ言葉のやり取りの中に自分を置くのは苦痛極まりない。まだ社長に怒鳴り散らされている方が生きた心地がする。見えない堰を取り払い、TPの想いが荒地の隅々まで行き渡り染み入る時に全ては息を吹き返す。TP直属の企業体でありながらその想いが行き届き、意のままに動かすことが出来る四肢とはなっていない。そのもどかしい思いの理解できる者がどれだけいるだろう。不毛な会議を何度重ねてもそこに泉が湧くことは無い。本来あるべき生命の基を見失い幾ら身体や頭を使って利益を出してみても、それは天が取ることが出来る代物ではない。

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