2008年1月7日月曜日

天正宮

この世に存在するものはあの世(霊界)でも存在する。しかし次元を変えより鮮明に存在する。神的存在界すなわち天界のはるかな地平線の上に神殿(天正宮)が高級霊的存在のために現れ、そこには神々の最高の芸術的成果である神的存在の摸像が人間の理想像として安置されている。勿論これは私の言葉ではない。霊的感性を開いたある精神学者の表記だ。地上に天正宮が建設されたが霊界に於いては地上のそれに比べることもできないほど荘厳な天正宮が雲の上に燦然と輝く様を遠目に垣間見ることができる。信仰年数を少なからず重ねてきた食口でありながらあまりにもその内的霊的無知故に、自分がどれ程恐れ多く誇りうる位置にたっているかを知らずに毎日を送っている。自分を引き上げようとする絶対善霊に囲まれながらも頑なに過去の因習体質思考心情感情の箍にしがみつき今の安定的ぬるま湯にどっぷり浸かっている。それが崩れ去るのが時間の問題であり、もはや自分の信ずるものが唯の蜃気楼であることに一時も早く気付かないと先が無い。自分自身の価値がどこにあるか、前にも記したが真の父母の血と汗と涙を引き換えに自分はサタン的な領域から放たれ神様の領域に存在させていただいている。それ故に自分は信仰を繋いで来れたのでありその御方の代価故に価値がある。そこに少しでも気付くなら思考様相は変わって来るはずである。心情の持ちようも勿論変わる。意志のあり方も変わる。この地上で肉体生活を送りながらも新しい宇宙の次元に移行できる。天正宮建設に僅かながらの基金を納めたとしてもそれで自分との関係性が証明されるものではない。自分がそして家庭が神様が尋ねてこられる神殿となっているかが天正宮を拝謁できる資格となる。

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