2008年1月6日日曜日

使命を知ると言うこと

自分の使命が何であるかこの群れのミッションが何かをしっかりと認識する。そこに揺らぎがあると思考は彷徨い続ける。思考が定まらなければイメージとして形作ることはできない。イメージが先ずあって創造できるのであって自分の中に形としてないものを作り出すことはできない。無から有はありえない。レストランの摂理は地上に展開できる神様の基地である。この場をどれだけ繁殖させたかアベル圏としてカイン圏を引きずり込んだかが問われる。そこに戦いが繰り広げられる。神と悪魔との争奪戦を見ることが出来なければこの世的感覚に長けたものが外的要因だけを並べて展開への意思を削ぐ。その場には神様が介在できる隙間は無い。サタン的なものが時空を占領している。そういった認識があって然るべきだがしかし今の我々の群れにはそのような認識はない。霊的なものが先ず中心とならなければ全てが奪われていくにも関わらずそのような認識はない。我々の活動形態に霊的な生命、父母に繋がるものは見出せない。ビジネスビジネスと口にするがそのシステムはサタン的なものが最も活動してきた本拠地である。この世のビジネスに迎合するならそこに神様が介在する摂理とはなりえない。サタン的な要素に染められたビジネスという信仰を奉る神不在の宗教だ。分別という言葉を我々は持っている。自分自身を分別してアベル的なものにカイン的なものを屈服させていく。自分自身にそうできる感性が備わっていながら自分という枠を外した場ではそういう感性を無力なものとして扱う。ビジネス信仰、売上げ信仰、利益信仰はこの世的成功はありうるけれど摂理が向かう方向とは異なる。神様と関係はない。我々はもっと霊的なものを重要視する必要がある。分別できる霊的感性を磨く必要がある。どんなに活動しても汗水たらしても、どんなに儲けてもそれを神様が取って下さるのかという問いかけもなしにこのまま続けても意味は無い。そこで今の自分に何が出来るか、どういう役割が願われているかをしっかり把握する必要がある。

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