2008年9月8日月曜日

責任者としての負債

必要だと言われれば、本部の事情を最優先して拠出せざるを得ない。上にしてみればたいした額ではないし、出すのが当たり前なのかもしれない。しかし現場にしてみれば僅か一ドル一ドルの利益であっても汗と涙の結晶には違いない。一ドル一ドルに想いや念や感情が込められている。私の想いは取るに足らないものであっても、従業員の想いや客ひとりひとりの想いが込められている。そしてそれだけに留まらない。この店はエバ国からの尊い送金が、立ち上げ資金になっている。そこにどれだけの兄弟姉妹や関わった人々の想いが込められているか。その認識に至らず営業に携わっても本質の意識に欠ける。やもすれば恨みさえ買いかねない立場にある。本当のところ、小さい店としては、決して少なくはない額を拠出して、複雑な想いが拭えない。本当にこれで良かったのか。従業員の想い、客の想い、苦労して復帰した日本の兄弟姉妹の想い、レストランに対する御父様の想い、そういった重圧を背負い認識すれば何か方法があったのではないか。少なくとも個人的想いを超えたそういった想いを訴えるべきではなかったか。本部の要請と同じくらいの軽さが右から左に流した自分の行動にもある。そういった意味で自分も同類で、本部をどうこう言える立場にないし、明らかに内的霊的負債を抱えている。ここのところ夜なかなか寝付けない。負債を覚える自分に追求の言葉が次々と攻め立てる。納得いかない自分の想いであるようで、実は店に関係している様々な霊的存在の恨みにも近い想いが責任者である私を責めている。そういった想いをなだめ詫びを入れながら、神経を掻き立てる霊に納得してもらい、やっと眠りに付く。売り上げだ利益だビジネスだ、出せるものは搾り取ってでも出せと、口角泡を飛ばして激を入れる責任者の事情は理解できるとしても、そういった現場の想いも少しは理解してもらえるだろうか。

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