2008年9月27日土曜日

今日の想い 12

この感情をどう解き放ったらいいのだろう。この感情に呻吟することがどういう意味があると言うのだろう。自分の魂の幼さ故に生み出されるものなのか、それとも甘受すべきものとして受け入れるべき何らかの意味があるのか、うろたえるばかりで光が見える出口は見出せない。西暦2008年9月26日と言う一日、地球上のこの広大な土地の一点に身を置き、この一つの感情に押しつぶされる魂が存在するという現実。自分は試練の只中にあるのだろうか、ただ単に謂れの無い霊に弄ばれているのだろうか。自分の中で終わる事のない問い詰めが答えを見出せず、真っ暗な中を彷徨い続ける。言い知れぬ不安感情が大波となって幾度も幾度も襲い続け、それに翻弄された思考は砕け散った小船の如く、断片的で無意味な夢のように無力で、波を治めるはずの意志のかけらさえ何処にも見出せない。感情の海に溺れ為す術はない。これほどまでに傷つきやすい魂なのかと思い知らされ、繊細さより強さが要求されるこの世界で、どのように生き延びていけばいいのか。魂を鈍化させ毛が生えるほどに逞しくなることが生きる術ではあるとしても、魂を貶めてまで生き永らえることに執着する意味はないだろう。それならば魂をすり減らしながらも、より高みを目指すことの方が神を慰めみ旨を歩む者の姿勢だろう。大気圏を突破する為には自己の魂の擦り切れ磨り減る犠牲が伴う。それさえも良しと認識して更なる高みを目指して行く事で、垂直最短距離で光漏れる出口を視野に捕まえる事ができる。そう信じ込む。それが犠牲という意味だろうし信仰という意味だと思う。そう結論付けて線を引くとしても、押し寄せる波が消え失せる訳ではない。怯えながら打ち震えながら、それでも紙一重の進展であるとしても 高みに視線を届け続ける。どれ程微かな意志であっても本質の自分、神の息子としての自分は、感情に踏みにじられるその意志の中にある。

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