2008年9月30日火曜日

今日の想い 14

青春を返せ裁判が起こるほどに、ある兄弟は自由を奪われてきたと言う認識の中で歩んできた。しかし献身生活と言う名の不自由を選んだのは自由意志で選んだのであり、自分が信じる自由が欲しいのなら献身生活を辞すれば済むことだ。人間は自由意志の存在であるけれども本当の自由意志を魂の中に見出す者は少ない。殆どは自分の欲求を自分の意志と勘違いしている。欲求の出所を見出せないままに欲求に踊らされている。真の自由は魂の中に築くものだ。神に直結する自我から来るものと、悪霊雑霊の類から来るものが魂の中で混在している。どの思いが本当の自分から来るものか分別できず曖昧にしているから、自分で自分の人生に責任が持てず他人にその積を擦り付ける。確かに外的側面を言うなら、身体を休める暇もなく活動していた時期もある。自分を活動に押し出すことに病むほどに精神を使い込み、魂がへとへとになった時期もある。上から否応なくプッシュされ、それに合わせようと必死で喰らいつく在り様に、別の意志を起こそうとする精神の余裕はない。だからこそ守られた部分もあることは否定できない。生活に於いても内面の在り様に於いても、余裕が出てくれば堕落的要素の別の意志が頭をもたげる。み言をもって如何に戦いを挑み分別していくか。守られて悪への道を塞がれ善の位置に立つ立場と、悪に立ち向かい戦いの末、勝ち取った善の位置に立つ者とは違う。そこで初めて魂に善なる要素は浸透し、み言に備わる霊で自我が作り変えられていく。言われるままにやってきた、ある意味集合的魂の手足でしかなかった状態から、御父母様に戴いた霊を宿す分家魂として、自己の判断による独立した内的在り様を確立する者になることを願われている。そういう時代圏で旧態以前の意識や在り様は取り残されるしかない。

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