2008年9月23日火曜日

アベルカイン

自分が所属する会社なり組織に於いて、自分の上司がアベルであり自分はカインの立場だと当然のように認識してきたが、その思い込みにサタンは巧妙に働きかけてきた。歴史に於けるある期間、主君に忠節をもって仕えその命に殉ずる生きる形、愛の形も確かにあった。しかしその当時の自分という個の在り様と今の個の在り様とは明らかに違う。過去に於ける在り様がより善で今の在り様は甚だ堕落した状態だと決め付けるのは間違っている。立派な主君や主君に仕える者たちの生き様を、書に記したものや映像に表したものは多いが、それをそのまま受け取り作為的に美化されたものを本質だとして認識するのは危険だ。それは事実とは程遠く、表したものの主観によるものであって、正体は極めて独善的な在り方をしている。善神の要素が無いわけでもないがあくまでサタン主管圏でのことであり、悪神が大きく関与している。個の確立が大きく進歩を遂げた今日に於いて、それぞれの個に与えられている良心が作用する力は大きい。良心の声こそ神が働くアベルの位置そのものだ。下賜された位置を独善的に解釈し、その権力をひけらかし乱用するのはアベルの権威から来るものではない。悲しいかな今まで多くの状況で見られてきたし、それによって良心そのものが翻弄されてきた。位置ある者に対するとき、敬意を持って接する事は当たり前としても、関係を深める中で内的に屈服しうるものが見えれば、それこそ良心がアベルと認めるもので、人物総称がアベルではない。責任者を、この方が私のアベルですと何の疑いも無く口に出してきたが、それが霊的混乱を招いたことは事実だ。責任者がカラスは白だと言っても、カラスは明らかに黒だ。人間であれば間違いは幾らでもある。それを指摘してくれることを部下に望み、部下も何の躊躇も無く進言できる関係、されど位置に対しては内的に屈服している関係こそ今日の組織に於ける健全な在り方だろう。

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