2008年9月5日金曜日

今日の想い 9

人は一日を送る中で色々な気付きを得る。その気付きは霊的感覚として受けたものであり、色々な気付きを汗でもかくように脳が生理的に排出した思考の断片と捉えると大きな損失となる。霊視霊聴と言えるものはそういった気付きをイメージとして受けるか音の波として受けるかに因る。人はこの地上で肉体を纏い、有形実体世界の中でのみ生きているわけではない。同時に無形実体世界の中でも生きている。どういう人生観を持って生きているかが即ちどういう霊界で生きているかということになる。自分の霊的世界を創るのは思考内容に拠るのであり、思考内容は人生観に拠る。一日を終えて床に就くとき、今日どのような経験をしどのような気付きを得たか、自分の内面と真摯に向き合い確認すること。気付きを気付きとして認識すること無しに、それを踏まえた次なる気付きは得ることができない。日常の些細な気にも留めないことが大きな気付きに繋がる。経験して気付いて学ぶことで自分の霊界様相は変わってくる。日本人として気付かなければならない一つの領域がある。それは情の世界の欠落だ。日本人一般に言えることであるけれど喜怒哀楽を表情や表に現すことを良しとしない。仮面を被って人に対し、感情を抑えて事に当たる。喜怒哀楽を抑えることで他人に自分の内面を曝すことはない。誰もが目に見えぬ甲冑を纏い心を割って交わらない。自分と他人との境界面を強固なバリアで別ち、あれほどの狭小な国土に肩を触れ合って暮らしながら意識に於いて相手との距離を視界から外すほどに取る。そこに情の触れ合いは無い。この情の欠落はそのまま霊界に於いてあまりに孤独な生活を送ることになる。どんな小汚い猫でも寄ってくれば可愛くもあり情も湧く。自分の内面を悟られまいとして石ころのような様相を纏えば誰も手を貸そうとはしないし共助を与えようとする霊人だって寄り付かない。従って運勢も来ない。がちがちに固まり壊疽の段階にある心情を溶かす必要がある。

0 件のコメント: