2009年3月11日水曜日

ビジネス考察

この五年十年の経済システムは金融が大きな比重を占めてきた。もはや金融市場が立ち行かなくなり、世界経済の崩壊は時間の問題だ。金融工学が発達して、少ない投資で莫大な金額を動かせる事が可能になったここ数年、本来なら金融という大河を、資本が届かない地域や人々に流すべき摂理としての天の計らいが、富める者が更に富めるようにミスユーズしてしまった。経済人の道徳性の欠如と、内的霊的価値観への目覚めが無かったことが根底にある。信用経済と言うように信用があってこそ流れるものが、お互いがお互いを疑心暗鬼の目で見ており、もはや大河は不信で一変に枯れ果てた。実は信用で流れるべきものが、実のところ信用に名を借りた欲が、その背後にあり流れていた。商売=儲けという自己中心の図式から、事業=社会貢献という他の為に生きる図式へと、人間社会の血流としての進化を願われてきたにも関わらず、金融市場の出現と発展が更なる社会貢献へと昇華できず、物と自己への執着に堕落してしまった。どれだけ国債を発行し、どれだけ中央銀行が買い取ろうとも、そこには信用の創造はない。公共投資と言ってもここまで物に溢れあらゆる利便性が享受できる社会や国で、更なる国内で箱物や建造物への物投資は莫大な無駄遣いであって信用創造の為の投資にはならない。もはや国という次元を超えて、世界を地球村として捉えなければ経済は立ち行かない状況であり、これは知恵ある天の計らいに違いない。御父様が提唱しておられるベーリング海峡トンネルプロジェクトであるとか、後進国への援助という形こそ、新たな信用創造へ足を踏み込むことになるはずだ。マクロの視点に立てばそういった方向性が見えてくるように、身近なビジネス活動も、自分や自社の儲けに動機があるのか、為に生きるという社会貢献が動機としてあるのかをとことん問われることになる。我々の事業体ですら例外ではない。御父様の名を掲げてはいるものの、結局は生活の為だったと言うのであれば沙汰されて当然だ。み旨であり為に生きる精神の見本となる、そうして御父母様の証を立てると言う想いと意志でトップから現場まで貫かれてこそ天の運勢圏に入ることが出来る。そのように悔い改め動機を正して、出発する必要がある。今日一日、一人でも尋ねて下さるお客様がいるなら、その方の為に店を開き準備し、御父母様の代身として祈りと想いを込めてもてなす。御父母様の霊が共にあり働きかけておられることを満身に感じながら歩んでこそ、天の運勢圏に入って行くことが出来る。

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