2009年3月14日土曜日

今日の想い 62

責任者として立つなら、それなりの犠牲を払うことになる。担当する部署の維持と実績を自分に課すれば、部下や抱える従業員にどう接するかは責任者としての重要事項だろう。責任者の視点と従業員の視点は異なるものだという前提を踏まえないと、失意と落胆は大きく、ストレスが嵩む。責任者は上から見下ろす視線であり現場の従業員は下から見上げる視線だというのを理解しておかないとひとつになる場を決められない。上から見下ろす者は自分の位置まで意識を高める事を要求し、下から見上げる者は現場の位置まで降りてくれる事を要求する。上と下の歩み寄った所が妥協点となるが、本当に一つになるためには責任者は先ず一番下の位置を支える位置まで下る必要がある。誰よりも下に下っていきながら、目の前にいる従業員と自分との距離感や温度差を把握し、どう縮めるかを念頭に置きながら接する事が大切だ。そうしながら一つ一つ上に進み上に立ってこそ責任者の位置を復帰できる。今ひとつは人間(堕落人間)としての感情にどう対処し自分の感情をどうコントロールするかだ。従業員同士お互い悪い点は見えていても敢えて相手に指摘はしない。職場に於いて人間関係は彼らの最も気を使う点であり、直属の上司に好きなことは言えたとしても同僚には何も言えない場合が多い。言えば相手の感情に波風を立てるだろうし感情を自分の中に留めて消化できるほど人間力はない。何らかの影響を逆に受けることは解り切っているので敢えて触れようとはしない。しかし責任者は見て見ぬ振りをする訳にはいかず、従業員との間に波風を立てることを承知で言及する事になる。誰だって悪者になりたくはない。しかし悪者になることを敢えて買って出る覚悟が責任者には必要になる。そう言う意味では従業員には解らない苦悩や孤独感を味わうだろうし、だからこそ位置に立つ事で人間的成長も早くなる。表面的外的な事柄以上に内的な事柄や内的成長を価値あるものとする認識を持たない限り責任ある位置に立つ事は苦悶以外の何物でもない。悪者扱いされながら、それでも相手を愛する事ができるかという試練が目の前にある。その試練を超えたところに新たな自己と新たな環境が広がっている。

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