2009年3月28日土曜日

今日の想い 66

自分は内向的だからとか、口が上手くなく人と接する事が苦手だとか、客商売にはどうも合わないとか、出来ない百の理由を並べながら、実は並べる事で自分の可能性の否定をゆるぎないものにしている。出来ない事を並べるより、出来る事を一つでも二つでも並べていけば、そこから出来る確信に繋がる可能性の芽が芽生えてくるにも係らず、最初に自分は出来ないと言う決め付けがあってその理由付けを並べるのであれば、それは怠惰と言う自分の堕落性から来るものだ。身体はいつも一生懸命動かしていて肉体的には怠惰な人間とは言えなくても、内的精神的に怠惰であれば肉体的怠惰以上に弊害は大きい。それは人間としての内的霊的成長をストップさせる。内向的な自分と言うのは事実かもしれない。自分を含め多くの兄弟は内向的だろう。しかし内向的な自分を外向的な自分に変えることが出来ないからと言う理由は、出来ない事の理由にはならない。更に内向的自分の在り様を否定的悲観的なこととして認識している事自体が天邪鬼(あまのじゃく)という怠惰霊に呪縛されている。私に言わせれば、誰彼かまわず話しかけたり口数の多い者ほど信用できない。私の周りにいるそれなりに成功したと言われる知人は誰も口数は少ない方だし、少ない分思慮に富んでいる。内向的であるなら自分の心の在り様を観察しながら、どういった人との接し方が自分的なのか自分的接客なのか、内的霊的感性を十分働かせて問い詰めてみればいい。自分にしか出来ない接し方があり、自分にしか出来ない仕事のこなし方があり、自分にしか出来ないビジネスがある。他を見ながら自分の性格を検証したり学んだり自分流に取り入れたり出来るとしても、他人の在り様そのままを自分の中に備えることは出来ない。性格的なものを変えることは出来ないし、変える必要性もない。貴方自身の在り様を良く知る事で限りない可能性が広がってくる。その気付きに触れず、顔を落とし心を塞ぎ続けるなら自分に内在する神様や御父母様を否定したまま生きていることになる。

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