2009年3月8日日曜日

霊界考察

この地上に於いては、霊界では明らかに顔すら合わせることの無い、、霊の在り様が異なる者同士が、地上という一つの面の上で生活している。神と悪魔が同じ形状の肉体に棲み、感覚世界を共有している。この一つの肉体の中に、自分という人類始祖以来の血統圏の全要素を組み入れられた存在として、或いはそういった霊的事柄を清算すべく、この今生を生きている。複雑極まりない人生様相や、感情が複雑に絡まった人間関係が何に起因するものかを知ろうと思えば、その霊的背後を見ずしては解り得ない。自分の周辺に起こる事柄や、それに影響を受けたり巻き込まれたり或いは働きかけながら、過去生の清算と自己の再創造が為されていく。肉体は構成要素である元素世界の道理が根底にある。元素世界の道理を超えて人間としての機能や人間を形作っているものは、肉体に働きかけ維持している生命体の存在でありそこに生きて経験した全ての事柄が記憶されている。肉体の死を迎えてもこの生命体は暫く生き続ける為に、刻まれたあらゆる記憶を見せられる。肉の身体を脱ぎ記憶の身体を脱ぐと、いよいよ霊界への参入となるがその入り口で更に欲の身体を脱ぐ必要がある。本能的な欲、自己中心的な欲、そして物に起因する欲が自分の霊体に癒着している。それを削ぎ落とし脱ぎ捨てなければ霊界に入っていく事はできない。多くの者達は霊体の多くを占めるこの欲の肉を削ぎ落とせない為に霊界に入って行く事すら出来ない。そう言った者達の集まりが居場所を求めた所も一つの地獄と言う事もできる。地上の生と霊界の生はどういう関係性を持っているのだろうと問う時、存在様相がこの世と真逆に働いているとも言える。地上に於ける外界が霊界に於いては自分の内なる世界となり、心の世界が霊界の外界となって周囲に現れる。自分以外の存在が私の存在に拠ってどう影響を与えたかが、霊界に於いてはそのまま自己様相として現れる。相手が私によって痛みを覚えれば、霊界に於いては与えた痛みに等しく痛みを覚える。相手が私によって喜びを感じれば、その喜びが自分の喜びとなる。内面に深い愛が浸透していれば、霊界に於いて愛が美となって周囲の様相に繁栄される。み言をして思考が組み立てられると、霊界に於いては真の世界が現れる。為に生きる意志を強くする事で、霊界に於いて善なる世界が広がる。地上に於いては皮一枚隔てた内なる世界が、霊界に於いては外界となり、そしてそこに住まう。

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