2009年3月21日土曜日

今日の想い 63

人間を超える高みを目指し、最高の位置にまで舞い上がりたいと言う熱望を内に宿す。人間は高みを目指す為に動物的姿勢から上体を起こし起立姿勢で生活するようになった。更なる高みを目指そうとするなら顔を伏せて生きるべきではない。顔を上げて天を見上げながら更なる高みを目指すべきだ。芸術への衝動も精神の高みに至ることを願えばこそ、触れたいと思い創造したいと思う。それすらなく日常の生活の中に埋没し、内なる世界に何の衝動をも覚えないなら、それは生きているとは言わないだろう。熱いものを自分の中に湧き上がらせねばならない。自分という生きている存在を客観的に捉えるなら、味も無く色合いも無く何の変哲も無い、冷めた存在でしかないことに気付かないだろうか。そんな当たり障りの無い人生を送るために今を生きているのだろうか。理想をいつ捨て、夢を何処に捨ててきたのだろう。想いとしての熱いものが沸き起こり、周囲を巻き込む場にこそ、創造の神霊は天から下り、想いとしての夢や理想が地上界に組み立てられ実体化される。想いの無い所に即ち夢や理想と言った願いの無い所に、創造の神は働くことはない。多くの兄弟は苦労もしているけれど、諦めてもいる。より高みを目指したいと言う切なる想いが内的様相に見当たらない。当たり障り無く平安に暮らしたいと言う小さな執着にすがり付いている。否応無く今の環境圏を飛び出さざるを得なくなったとき、その時こそ本当の意味での人生が始まるのかもしれない。み言に最初に触れた時、献身と言う選択を取るほどに人生の方向を大きく変えてしまった。強烈な情的力が自分に働きかけたことがその原因であったとしても、いつまでも母性的なものに情的拠り所を求めているのは親離れしない子供と同じだろう。神様が熱い想いを持って理想を創造してきたように、誰かに示されて持つような他人事の夢や理想でなく、自分の夢、自分の理想を熱い想いとして備える必要がある。

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