2009年3月7日土曜日

霊界について

霊界を正しく認識している者は非常に少ない。食口ですら、霊界そのものの存在を疑う事は無いにしても、地上世界に住むのと同じような感覚世界がもう一つあると言う位の認識に留まっている。地上世界に暮らしながら霊界にも暮らしているという事実がありながらそういった認識は無く、霊界とはこの世を去って住む死後の世界だとして、善行を為せば天国に行き悪行を働けば地獄行きくらいの漠然とした感覚で捉え、地上界と霊界の直接的関係性は把握していない。どんな悪なることを考えようとも自分の内面に留める限りは自由であり、考えるだけなら何ら害を与えないだろうと言う間違った信仰、唯物信仰を受け入れている。こういった認識は明らかに霊界を正しく認識してはいない。実際は形となって表れる事柄には、それなりの見えない霊的事柄が背後にありそれが実体化されたものだ。自分の内に留めるどのような思考も、どのような感情も、悪としての具体的行動と同じく、一個の現実、一個の存在、一個の形に他ならない。誰でも情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである(マタイ6-28)。この聖句はそう言った意味に於いて重く受け取られる。もし私が、誰かを悪い人間だと考えたり憎んだり愛さなかったら、その人の霊人体に対して稲妻や銃弾のように射る矢が発せられ霊人体を害する。他人を肉体的に害するより、その行動を起こし得た抱いている悪い思いや憎しみの方が問題なのだ。ある人について善なる思考をすると善なる思考形態が作り出され、それはその人の生命を強める。善なる思考は生命を育てる要素を形成し、悪なる思いは生命を害する要素を形成する。内なる思考活動はそう言った意味で創造要素を創造している。善の創造なのか悪の創造なのかは一人一人に委ねられている。霊視できるに越した事は無いが、霊界が見えるとか見えないとかが本質的問題ではない。見えるという感覚的な内容で測れるほど、霊界は一面的ではない。かえって見えることで本質を見失う事のほうが遥かに大きい。

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