2009年3月23日月曜日

ビジネスとみ旨

ビジネスと言う一面からしか見ない判断はビジネス評価ではあっても、み旨という観点から見れば違う評価になるだろう。現場にいれば日々の業務や次々と起こり続ける問題事項に対処していく必要性があるので、自ずと近視眼的な思考様式行動様式になるし、またそのように要求される。ある店舗から別の兄弟店舗を見る時に、売上が上がらないのは店長に覇気が無いからだとか数字に対して甘いだとか、そういった判断は的を得ているようで近視眼的であり一面的でしかない。全店を把握する位置にある者もそういった判断のみをするのであれば問題を解決することは出来ないだろう。現場の目も必要であると同時に鳥瞰的に見ることができる目も持たないと、山積みの問題を前にして頭を振るしかない。ましてやビジネス以上のみ旨という位置で、み旨の方便としてビジネスという形を取っているだけの話で、ビジネスライクに徹するとみ旨の願いとは方向性を異にする。現場の覚悟として売上や利益を絶対視することはあっても、上に立つ者が個々の売上や利益を絶対視すれば必ず崩壊する。売上低迷も赤字も、所詮経営上の起こりうる事で、それで霊的生命やみ旨そのものが奪われる訳ではない位の魂の大きさを持たないと、ぎすぎすし過ぎて全体が壊れる。車のハンドルのように遊びを持たせる必要がある。ビジネスという側面のみならず、担当する者や担当する地域の歴史と言う縦軸で見る必要もあるし、何を考え何を思って取り組んでいるかという担当者の内面世界も判断材料にする必要があるだろう。様々な角度から多面的に見渡しながら、それでも状況の完全な全体像を見届ける事はできない。それは自分の無知と足りなさから来るものであると自覚し、天の助けが必要であると、謙虚な想いと姿勢で取り組んで行くべきだ。

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