2009年5月10日日曜日

母の日

母の日にはプレゼントを毎年両方の母親に贈っている。ショッピングモールの中を少しは捜し歩いたがこれと言ったものが無く、結局今年はネットサービスを利用して花と御菓子を贈った。妻の家からは届く度に電話をよこし一言礼を伝えてくるが私の家からの連絡はいつもない。様子を伺う為にこちらから電話を入れた時、そう言えば、、と話が受け取った事に及ぶのだけれど敢えて向こうから電話を入れることは今まで無かった。しかし昨夜母から電話があった。電話代の負担をかけまいと、かけなおす事を告げて一旦電話を切ったが、何かあったのだろうかと、かけ直して用件を聞くまで不安だった。しかし不安を裏切り母のプレゼントに対する礼の言葉のみで安堵した。電話口を通してではあるけれど、嬉しそうな様子が声の張りから伺える。今まで事あるごとに送ってもなしのつぶてだったのでどんなものか窺い知れなかったが、母の高揚した様子を耳に受け取ると本当に良かったと思う。自分が年を取っていく以上に老いた両親は年を取っていく。有無を言わさず飛び出して三十五、六年になるけれど親には人並み以上の苦労をかけてきた。親を捨てることがみ旨であり親孝行だという献身という確信犯的決断は、ある意味子供が不良になるより親不孝だろう。出来れば恨みを解いてあげたいし親孝行らしいこともしたい。肉体がある内にと思えば今しかないだろう。今更でもないが、時間をとにかく割いて顔も見せたいし事あるごとに連絡も取りたい。地球の裏側まで逃げてきてそんな心掛けをもたげるのは親にすると可笑しな話だが、いつどうなるとも知れないしその時は必ず来ることを思わされじっとしてはいられない。仕事が忙しいからと自分に言い聞かせて何もせず、迎えたその時、負い切れない負債が重くのしかかることは間違いない。母親を早くに亡くした母は働くことが当然のように朝早くから夜遅くまで働き詰めだった。弟の出産日以外、横になった母を見たことはない。高校の時下宿していた安アパートを引き払って教会生活に入る時、流しに立った母は肩を震わせて嗚咽していた。献身してからは滅多に帰ることは無かったが、家を出る度に母の情を振り切るのが何よりも辛かった。連絡を取る度に早く帰って来いと言い続けていたが、それも最近無くなった。電話口の明るい声を聞きながら心配させまいとする懸命さが伝わってくる。この母の恩に自分は何も報いることが出来ない。明日は母の日。家族に囲まれた母の笑顔で店は一杯になる。御母様にも肉の母にも、申し訳なさで一杯の自分は、店に訪れる母親達を喜ばすことで償う事を許されている。

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