2009年5月19日火曜日

竜神

御父様が揮毫された年頭標語を見るとき、どれ程力強さや近寄りがたい威厳が紙面の上の筆遣いに踊っている事か。字は人を表すと言われるように、筆遣いに書く人の性格や心が表れる。言葉に魂が宿っているように、文字を記す時にその言葉への内的態度が問われ、どれ程上手に記そうとしても上手くはいかない。それは指や手の技量の問題ではなく、言葉を文字と言う記号を使って表す時、言葉にある魂をどう受け入れ、どう自分の中で主管しているかに依っている。私達が文字を組み合わせながら文章を書いているのを霊的な古代人が見ると、この人間は魔術を使っているのだと理解する。それは馬鹿げた事ではなく、眠っている言霊を覚まし、その影響を及ぼそうとするその行為としての魔術が文字という記号を使って書き上げることなのだ。私達は書くことで記憶させたり整理したりするが、ある意味書くことで内的に影響を与えている。訓読というみ言を読み上げることで内的霊的影響を自分の内面に及ぼすように、書くことを通してその影響をより強める。御父様はいつも小さな手帳を携えながら事在る毎に取り出してページをめくり、そこに記された事柄を呼び起こされながら、み言として語って下さる。どんな風に記しておられるのか興味津々であったけれど、最近の映像にカメラが御父様の手元を大きく捕らえ、開かれた手帳の紙面をはっきりと目にすることが出来た。モーセがアロンに杖を投げるように命じると、その杖は蛇になりエジプトの魔術師が秘術をもって蛇に変えた杖を飲み込んだとあるが、御父様の手帳の中の記号としてのみ言に、幾つもの蛇を見る感覚を覚えた。こんな表現をすると気を悪くされるかも知れないが、様々なみ言としての龍を最小化して懐に持たれ、一つ一つ投げると竜神化したみ言がサタンの蛇を飲み込む、そんなイメージだろうか。自分の書いたものはしょうもないミミズが這っているように情けないが、御父様の揮毫を見れば竜神が天空を自由に舞うような、そんな近寄りがたい見上げる威厳を受け取る。小さな手帳から取り出された竜神がその場で勝利の舞を踊っている。

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