2009年5月9日土曜日
今日の想い 79
無機質のシステムと数字の中に組み込まれて機械的に歩む事を我々は願われてきたのだろうか。御父様がそう言う我々の中に心情的在り様として働かれるだろうか。お父様を想うて申し訳なく思い、涙し、決意して、そういった衝動を熱いものとして魂の中に活動させながら歩んで来た、そう言った我々の在り様こそ統一食口としての魂の在り様では無かったのか。胸に熱いものをいつからか遠ざけながら、形だけの張りぼて天国を目指そうとしている。願われる事柄の形骸のみを受け取りながら、数字を追い求め見てくれを繕うけれど、内的心情的歩みを織り込みながら、精誠として受け取って頂けるものを差し出そうとしているだろうか。店は御父母様の家であり、もてなす我々は御父母様の代身として、来られるお客様は御父母様のお父さんでありお母さんであり、息子であり娘であり、遠く別れた家族を御父母様が迎える場こそこの店なのだと言う受け止め方が間違っているとは思えない。店の形は取っているけれど、懐かしい家族を迎える御父母様の家であり宮殿であると思わされる場面は幾らでもある。その思い入れとは裏腹に、一つまた一つと店が消えていく。展開しどんどん増えながら、神様の多くの家族達を御父母様に逢わせる願いがありながらも、外的事情に押されながら消えていく。外的事情をあれこれ言い訳にしながら、実のところ我々の御父母様への想いが冷めて行っただけのこと。言い訳することの知恵や能力はしっかりと着けてきたけれど、その分御父母様の心情から遠ざかってきた。店を処分しながら、御父母様の痛みを胸に覚えることが無いなら、心情をサタンにくれてやった一人の無機質存在に違いない。
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