2009年5月4日月曜日

今日の想い 77

人間存在はこの土くれとしての身体のみに非ず、四段階以上の次元にまたがりそれぞれの次元に対応する体を備えている。土くれの身体は鉱物界を主管する神霊存在の原理原則に従い、身体を形作っている生命維持の体が形成力を奪われ肉体から離れることで死を迎え土に返る。この生命維持の体は植物界を主管する神霊存在の原理原則に従い、肉体の死の後、霊界への入り口でこの生命維持の体に刻まれ記憶された誕生以来の全ての記憶を反復する。一通りの反復を記憶として辿った後、生命維持の体はチリジリになりながら生命界の要素に帰っていく。後に残るのは魂の活動を維持していた魂界の体が精神存在として霊界に参入していく。霊界と一言で言ってもあらゆる階層、あらゆる次元にまたがり、地上界のように階層の異なる存在が隣り合っているような環境にはない。位階の異なるそれぞれの人間存在があたかも同じ存在であるように同じ次元で暮らす地上界のほうが異常といえば言える。地上界に於いて自分が内的に培ったもの内的に築き上げたもので霊界生活の体となす。肉体と霊人体と分けられ、あたかも肉体が自分の意志と関わり無く成長し大人になるような、そう言った同じ感覚を霊人体に当てはめ認識するけれども、霊人体は自分の行動でその成長を促す。魂の活動を通して受け取る内的霊的要素で自分の霊人体に肉付けし内的感性霊的感性を育み持たせる。赤子の肉体のままで地上生活が出来ないように、未熟な霊人体のままでの霊界生活は檻の中で暮らすしかない。未熟なだけならまだしも、異常な内的在り様による異常な霊人体様相を呈し、地獄の環境に住まわざるを得なかったりする。人間存在としての価値は精神の高みに限りなく近づこうとする自我を備えていることであり、み言的に言えば良心の願いにどこまでも追従しようとし、その行動として犠牲精神、為に生きる意志を差し出す。安楽な生活を否定しろと言う事ではなく、誰かの或いは他の存在、神霊存在の犠牲精神が私に差し出してくれた安楽な生活であり、私の為にという想いが地上生活の基にあることを忘れてはならない。そういった認識を覚えることで受けたことを他にも与えたいと思え、他の犠牲が自分を存在たらしめるように自分も他の為に犠牲になりたいと思える。

0 件のコメント: