2009年5月23日土曜日

会議の帰りに

定刻七時に飛び立った。夏時間で太陽はまだ高い。早めに空港に着いたもののエコ対策のひとつなのか港内は温度設定が高めで、暑さに弱いアメリカンは流石に皆不機嫌そうだった。そのせいで狭い機内ではあっても涼しい分人心地がつく。私も飛び立って直ぐうつらうつらし始める。夕方東へ向いて飛ぶと日の暮れ方は早い。一時間の時差の分、時間は早回りする。狭いシートに深くかけ直して本に目を通そうとすると、既に高度を下げ始めた。何度か身体が引き下ろされる不快感を覚えた後、左翼をグッと落として大きく旋回していく。楕円の窓にワシントンのモールが映されるはずだ。この瞬間はどうしても逃せない。窓側席ではなかったが身を乗り出すようにしてこの瞬間を待っていた。旋回と同時に夜景が広がり、その中に街灯で縁取られた長方形の区域が浮かび上がってくると、手前からリンカーンメモリアル、ワシントンモニュメント、そしてキャピトルと連なる景色が目の中に飛び込んでくる。夜間照明に映えながら現代のローマの威厳を未だに誇示しているようだ。アメリカ市民であれば何処にいかなくてもここだけは訪れるだろう。広いモール内の一連の建物郡のひとつひとつに足を運びながら自由主義信仰を参拝していく。しかし最近は詣でる人々の様子も変わってきた。かつての厳かさは今では見当たらない。自由主義の下の一枚岩は既に崩れかけている。天を突き刺さんばかりのワシントンモニュメントが角度を変えながら迫ってくる。並み居る聴衆の前にアメリカ救国を訴えたワシントン大会当時の興奮が目の前に蘇る。二十世紀に叫ぶ一つの声として、アメリカに対する神の願いを叫ばれ投入された魂をこの地は受け取っている。上空から見下ろしながら、その叫びを感受できる自分になっているだろうか、その叫びに呼応し新たな衝動を呼び起こす自分になっているだろうかと問うて見る。機内をでると薄暗く人気の無い静かなロビーを人々は足早に散っていく。誰よりも誰よりも御父様から多くを受け取り、多くの負債を抱える自分も、散り消え去っていく内の一人でしかない。私は真の父母に侍る者として、自分が叫ばずに誰に叫べと責任を転嫁するのだろう。

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