2010年10月3日日曜日

稲刈り

貧しい農村で高価な機械を備えた家など殆どなく、収穫はひたすら手仕事であり人手を要した。上級生が夏休みを少し繰り上げて終えるのは、農繁期を休ませて手伝わせる為だ。クラスの何人かは農繁休学を終えた後も学校を休んで手伝っている者もいたが、それが普通で先生も何も言わなかった。うちは兼業だから他の級友の家ほど田を持ってはいなかった。一週間も費やせば殆ど収穫は終ったが、それでも、まだ元気だった祖父も一緒に家族総出で稲刈りに精を出した。澄み切った青空の下で家族皆で汗を流すのは気持ちがよかった。一心に目の前の仕事だけに没頭して何も考えなければ何の感情も波立てない。乾燥した藁の匂いと稲を手繰り寄せて鎌で切った時の青臭い茎の匂い、その匂いにその場が包まれることで誰もが収穫の気分に浸る。何十年、何百年と同じ作業を行い続け、先祖代々同じ気分に浸ってきたはずだ。農民に取ってこの気分は宗教的感情と言ってもいいと思う。秋の澄んだ大気が太陽熱を迎えれば、穀物は乾燥して生命源を閉じ込められ腐ることは無い。その閉じ込められた生命源を私達は食している。収穫の秋の太陽は、自然の生命の力を私の力になるよう閉じ込めて変容させる橋渡しの神であり供犠の神(高次の霊的存在)に違いない。痩せて小さくても家族のうちで一番若く体力のある私は、何度も何度も田とハデ(稲を乾かす為に立てられた六、七段にもなる木組み)の間を往復しながら稲束を積み上げていく。暮れかかる頃になるとその日の最後の作業として寄せられた稲束をハデにかけていく。積み上げた一つ一つの束を長い渡し棒でハデに登った父に渡し、父は丁寧に隙間の無いようかけていく。その日に刈り取った稲束を全てかけ終えるとハデの骨組みは見事な稲束の帳(とばり)を張る。沈みかける西日が稲束の帳を照らすと金色に光る。山間の高地のあちこちで金色に輝く帳が重なる様は、見る者を厳かな気分にさせる。田に平面的に実った稲穂は、ハデの上段まで高く立体的にかけられることで供犠の神に供えられる。まさに奉納の祭壇の姿がそこにあった。日本は長く稲作に対する精誠を供えながら民族的な祝福を受けてきた。米は日本人に取って生命の力そのものであり形を変えた太陽神だ。食事で戴く時はたとえこぼしたとしても、埃が付こうが灰にまみれようがそれでも口にするよう躾けられ、一粒たりとも無駄にする者はいなかった。もったいないという思い以上の想いが米にはあった。田舎を後にして四十年以上にもなるが、今ではうちの田も周りと同じで休田してしまって久しい。たまに帰ると雑草に占領された惨めな景色を目にしなければならない。稲作に捧げてきた先祖の精誠を無駄にしない為にはどうしたらいいかと言う様な、若い頃には思いもしない事柄が今の心を占めるのは、歳のせいなのか先祖の想いが伝わるのか、おそらくそのどちらでもあるのだろう。

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