2010年10月19日火曜日

色彩

彩り溢れた色彩が感情生活を豊かにし、喜怒哀楽を紡ぎながら私の人生を織り上げていく。子供の頃の思い出は特に色彩に溢れている。空の青、田んぼの緑、稲穂の黄金色、そして夕焼けの茜色。子供の私が目にした情景の色合いからその時その時の体験した感情が引き出されてくる。私の中で色合いと感情が繋がっているように、季節が差し出す自然の色合いのなかに宇宙の感情が表現されている。宇宙の喜怒哀楽が自然の色合いを表情としながら私に働きかけている。この世に於いて、吐き出すままにばら撒かれた出版物や映像で人の視覚が占領されれば、集合人間の意図と念が込められた猥雑な色合いで人の魂は満たされる。一時私達は洗脳されたレッテルを貼られたことがあるけれど、私からすれば我々を指差す彼らこそ猥雑な色合いで魂を満腹にされながら、目に見えぬ悪霊に洗脳されている。自然を遠ざけて人間社会という色の洪水のなかに身を置けば、いつしか渦巻く雑多な色合いに魂は浸透されて、自然の色合いに見る宇宙の感情を受け止めることはなくなる。相手の表情からその感情を受け取るように、自然の表情から宇宙の感情を受け取り私の魂が共鳴するなら、宇宙が喜んでいるなら私も嬉しくなるだろうし、宇宙が悲しめば私も涙が流れてくるだろう。その位置で神様を信じるとか信じないとか、み言葉が正しいとか正しくないとか、そんな判断や思考は意味が無い。宇宙の感情に同参し、宇宙の思考を共有しながら、同じ創造理想を掲げていく。神様が喜べばどんな色合いで表現され、神様の悲しみはどんな色合いで表現されてこられたのか。神様が解放されて初めてこれから表情として表される色合いが示されるだろうし、堕落を初めとする神様の過去の悲しみは失意の中で表す色合いさえ失われてこられた。神様不在の死んだ色彩の世界だったものが、生きて働きかける生きた色彩として受け取れるようになる。

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