2010年10月16日土曜日

秋祭りを終え朝晩めっきり寒くなる頃には、明け方霜が降りる。広く見渡せば薄く雪が覆っているような景色に見えるけれど、近付けば葉に付いた霜、木に付いた霜、いろんな表面に付いた霜それぞれに特有の表情を見せている。特に窓ガラスの表面に氷結した霜は、はっきりとした意図を持って描いたように、唐草模様だったりシダの葉を広げた模様だったり、或いは花を咲かせて見たり雪の結晶だったりと、氷の精が筆を持って描いたとしか言いようが無いほど緻密に美しく仕上がっている。暖房施設もない隙間だらけのあばら家で、起こされても暫くは布団の中に蹲っているのが常だったけれども、布団から抜け出る決意を促したのは、朝、ガラス窓に描かれる模様の美しさを目にしたいという心引かれる気持ちからだ。どうやってその模様を写しこむのかその工程を見たいと何度か早朝起床しようと思ったが、明け方になると眠気に負けて失敗に終った。最近はネットで検索すれば霜の氷結した画像をいくらでも目にすることができるが、しかし本当の美しさは、自らが氷結する同じ寒さの中に佇んで目にしてこそ伝わるものだ。氷点下の、痛みさえ覚える寒さに身を預けながら、生命的な全てを否定されても残るる美しさ、即ち魂を超えた美しさが描かれたものから伝わってくる。数理の美しさ幾何学の美しさに通じるものが氷結の中に見て取れる。それに相対するには喜怒哀楽を追い遣って、自身をひとつの岩だと思えるほどに専ら感情を削ぎ落として見えてくる美しさだ。人の描いた絵とガラス窓に氷結した絵を比べて受け取る印象の違いを観察すれば、地上生命の存在と宇宙存在の違いを感じることができる。堕落的なものが一切関与しない億星霜を超えた宇宙的感情を垣間見ることができる。それは光が関与して描くものではなく、宇宙振動、宇宙波動として宇宙の音を司る神霊が描き出すものだろう。描き出されたものを通して宇宙が表現されているに違いない。

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