2010年10月20日水曜日

概念

私達がさも当然のように受け止めていた概念のひとつひとつを、掘り返して今一度み言の光に照らし出さなければ、私の中でより本質に近い概念として認識し、内的建築を創造していくことはできない。私が私として認識している私の概念から始まって、内的な事柄、外的な事柄全てを問い返しながらみ言に照らされて消え失せることなく存在できる概念として納めない限り、頑張ったつもりではあったが振り返ってみると跡形も無く消え失せてしまっているということになる。信仰だみ旨だと言いながら何の内的外的功績も残せずに終えることになるかも知れない。大方のところ堕落世界で培った堕落的概念であり認識が殆どを占めているので、ひとつの概念を何度も何度も掘り返し、その都度み言の光に照らし出してやっと本当の概念に近付いていくことができる。その意味で私は何度も何度も否定されなければならない。否定される度により堕落的なものが削ぎ落とされ、本質に近付いていけるのだと思う。特に職場やビジネス業務に於いて、この世的道理の中でひとつの歯車として埋没し、そこにみ言で照らされる概念を持ち込むことができないなら、堕落的ベルトコンベアーに乗ったままの時間を刻み、堕落的空間を広げているということにはならないだろうか。お金の概念であるとか、売上げや利益の概念であるとか、或いは労働の概念や全ての事柄に関して、み言に照らされてしっかり反射される概念を持ってこそ、真にみ旨に繋がり神霊の神経として神様の意志に通じる歩みとなる。物事に対する私の概念が変わるということは私の思考が変わることであり、思考によって人は組み立てるし創造する。神霊の神経が繋がる概念であってこそみ旨に叶う創造的歩みが為せる。

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