2010年10月12日火曜日

星と私

終末のこの時、宇宙の全ての星の子達が地上に集まっている。魂を宿した星の子達が光を受け取るために地上に受肉している。星の子達は光を受けて初めて自分の存在が何なのか気付く。受肉した身体に太陽の光を受け太陰の光も受けながら、魂が受け取る光があることを知らされ期待している。太陽に学び月に学びながら、自らも光を発する存在になれるし、そうなることを期待されてもいる。その認識に先ず至ることが地上に存在している意味であり、受け取る光を照らす存在を親と認め、私は子だと認めることだ。星の子達の誰にとっても地上への誕生は輝きに満ちている。光り満ちる地球で魂の活動をなしながら自分をより知ろうとしている。キャンバスに描きながらその中に知らない私が表出されて喜ぶように、自分の人生を時空に表現しながら私を認識しようとしている。確かにそれも光を受け取る人生だろうし光を照らす生き方でもある。しかしそこに留まっている限り、その光は弱すぎる。限られた次元に留まる光でしかないだろう。地上を越えて霊界のはるか先まで照らし出す光を受け取り照らし出す存在でありたい者は、それでは納得できずに嘆いている。何故なら星の子達は本来宇宙の隅々、霊界の隅々まで照らし出す光存在の子達だからだ。そして光が愛であり、光存在が愛の存在であることを既に知っている。そして親である愛の存在に出会う為に地上に受肉している。太陽の光を浴びることだけに留まるなら、外的で脱げば以前として暗闇に埋もれるしかない光の衣服をまとっているに過ぎない。私自身が愛の光そのものである為には真の父母に出会い、真の父母から生まれた存在とならなければならない。真の父母から生まれた私は真の愛に輝き、真の愛を照らし出す。外的光の衣服を脱ぎ捨てても、永遠に真の父母の息子娘として、真の愛の光を照らし出す星になる。

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