2010年10月31日日曜日

泣ける幸せ

涙を溜めるための涙の器が私の中にいっぱいある。切ない想いは切ない器にひと滴(しずく)ずつ溜められる。悔しい想いは悔しい器にひと滴ずつ溜められる。哀しい想いは哀しい器の中に、寂しい想いは寂しい器に溜められる。器がそれぞれの想いで満たされると、溢れて涙となって頬を伝い落ちていく。笑える幸せがあるように、泣ける幸せがある。ただ笑って人生を送りたいと普通であれば思うけれど、涙を流す体験の中には、別の幸せがそこに隠されている。涙を流してこそ内面に溢れるものがある。内面に溢れるものを心情という。心情はマイナスイオンの塊だ。内的なマイナスイオンの塊が内的なプラスイオンを強烈に引き付ける。プラスイオンである神様の心情圏が引き寄せられる。涙が流れるところに神様は尋ねざるを得ない。泣ける幸せは神様が尋ねてくださる幸せだ。食口であれば苦労につぐ苦労を何重にも重ねてきた。当然この世の人たち程の蓄えもなければ知恵も力もなく、同じ地上を生きてきたとは思えないほどの他との違いを自分に見ざるをえなくなった異星からの浦島太郎だ。だけどそれでいい。病に冒され明日の生活希望さえ失いかねない生気のない浦島太郎でいい。やがて滅びる堕落的なこの世に何の未練もない。私は新しい時代、新しい世界を生きて羽ばたく蝶になる。この世にしばしの間足を踏み入れた浦島太郎は、新しい生のさなぎの姿だ。ゴミと見間違うほど生気のないさなぎから蝶は出てくる。疲れ果てて何も残っていない私だと自分でさえ思っているけれど、私達の中には祝福を戴いて蘇った生命の木が育っている。私の中の生命の木は流す涙でもはぐくまれ、尋ねてくださる神様の心情圏の愛の光でもはぐくまれる。笑える幸せがあるように、泣ける幸せがある。泣ける幸せは新しい私が育つ幸せに繋がる。

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