2010年10月29日金曜日

田舎の秋を想いながら

薄綿のような雲がパステルブルーにたなびき、山々の木々はそんな背景を背に黄金色の衣を装っている。太陽も随分南よりの経路を西に辿りながら、視線の角度とそう違いない位置から柔らかな光を宛がえば、黄金色の衣装は更に金色に輝く。神楽の舞子の衣装を木々に着けて舞わせる様に、金糸の刺繍で浮き上がらせた龍が踊っている。風が渡るに合わせて龍はうねり、山々の表を葉の摺り合う音を立てながら這って行く。去年は重ねて降り続く冷たい秋雨に、色付くのを待たずに打たれてあっけなく枯れ落ちてしまった。今年の秋の見事なまでの色付きを視覚を通して取り込めば、去年と今年の明らかな印象の違いを読み取れる。今年は豊年満作だ。光の中に、空気の流れに、神様や高次の霊的存在達の満足感や歓びが満ち溢れている。視線を落して私の周囲を見回せば、病を始め山積みの問題が相変わらずひしめいてはいるけれど、天が喜び祝いの宴がもよおされているならそこに同参させて頂いて、祝いの気持ちを差し出すべきだ。天が喜んでいるのに私が塞ぎこんだままでいるのはよくない。今年は実体み言宣布を韓国、アメリカでされて、天宙のすべての境界線が撤廃され、天地が神様の統治の下に永遠に存続していく。今日の秋晴れのように淀みも霞みもなく、神様がどこまでもどこまでも見渡せる霊界になったということだろうか。あまりにも無知で御父様が語られ宣布される意味も価値も解らず、立ち尽くして口を開けたままの不甲斐ない私であっても、心からの御祝いの気持ちを供え続けることで同じ立場で同参することができる。神様が喜ぶとき私も喜んでこそ堕落圏から抜け出ることが出来る。田舎の秋の、野山の彩の中で、太鼓がこだまし笛の音が響くあの秋祭りの高揚を、今心の中で再現しながら天の歓びに合わせて舞っている。

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