2010年10月24日日曜日

紅葉の時期に

春の気分として、芽が出て成長する様の中に生命と精神が混然一体となっているのを感じる。それに比べて秋の気分は葉が色付いて枯れ落ちるように、枯れ落ちた地上存在を後にして分離した精神が高みに昇り生命要素は解き放たれるという、精神と生命の分離だ。春に一体となっていた正の位置から、秋の精神と生命の分離を経て、新たな合成一体の種子を作り出す。正分合の作用を為しながら分離されていく精神と生命が、次のステージを生きる種子に刻印していく。春の気分の青年期を経て年を経るに従い、次第に人間の関心は外的肉的生命的なものから内的霊的精神的なものへ比重を移していく。そうしてやがて自らの生命要素を完全に解き放って己の精神は高みに昇華する。色付く紅葉の中に、風に誘われるままに生命の基である枝から己を切り離し舞い落ちる枯葉の中に、青年期を遠に過ぎた私自身が映り出されている。壮年期の私がそこに映り出されており、老年期の私がそこに映り出されている。それを見て物悲しい感情で魂は染まるのか、或いは精神の実りを色付きとして受け取り、静かな晴れやかさで魂を満たすのか、それはひとりひとりの人生をどれだけ誠実に、精誠を込めて、真剣に取り組んできたかによるだろう。この歳にして未だにこの世的なものへの執着を持て余し、分不相応な必要以上のこの世的扱われ方を欲する私には、明日にでも散り落ちるだろうに見事に色付いて己が生き様を燃え尽くした晴れやかさが心に眩しすぎる。季節それぞれの自然の姿を、その内的な意味するところも知らずに年月を重ねてきた恥かしさを、この歳になってやっと気付き始めている。秋が深まりその中に佇むと、燃え立つ紅葉は精神の昇華の色だと認識できる。

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