2010年10月16日土曜日

今日の想い 219

昨日は夜が明けぬうちから日がな雨模様だったが、暮れかかる頃にやっと降り止み、一夜開けると空の遥か高みまで見通せる秋晴れとなった。湿気を含まない秋風が時折身体を撫で、撫でられる度にいろんな感情で湿った重たい魂を軽やかなものに変えてくれる。秋には秋を司る神様(霊的存在)がいて、他の季節では味わえない秋特有の気分を味わうことができる。昨日は六千双祝福記念日だった。少し痛みが和らいだ妻が、雨も降り止んだので外に出てみたいと言うので、娘と三人で近くの韓国レストランへ外食に出かけた。長雨の後は流石に温度も低く、千切れ雲の間のくっきりとした半月の姿がより肌寒さを増し加え、比較として胸のうちの温かさを覚えることができる。この秋から娘は自宅から学校に通っている。息子も娘もドムに入り夫婦二人で暮らしていた時と比べれば賑やかだし、何より何かあった時を思うと安心だ。娘が美味しそうに箸を口に運ぶ様子は親に取って何とも嬉しいし癒されるものがある。心配事を心配事として数え上げればキリが無いけれど、実は心配事が喜びや幸せを際立たせてくれてもいる。日常に掃いて捨てるほどある些細な喜びに、実はその背後に私を想うてくれる存在の大きな愛の心情が込められている。私達は愛の空気や愛の光や愛の時間という、親なる存在の愛の胎の中で暮らしている。どんな状況に置かれたとしても、母の胸のうちで泣き叫ぶ赤子のように、大きな愛に包まれて存在している。箸を口に運びながら、突然薄ら笑いを浮かべたり、目を潤ませたりする父を見て、薄気味悪がったりからかったりするけれど、娘の親としての私の心、神様の子としての私の心に働きかけている魂に触れる存在を、娘は見ることができずにいて首を傾げている。

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