2010年10月14日木曜日
今日の想い 218
いろいろ騒ぎ立てているけれど問題の発端はそこではない。騒ぎ立てている者達に共通するのは、彼らに事を煽ろうとする意志が見えることだ。渡さなくともいい枝葉の付いた情報を、口が滑るままに或いはキイに指が走るままに流している。そこには煽り特有の赤黒い感情が人から人に伝染している。事態を解決しようとするのではなく、事を煽り立てて問題が大きくなるのを喜んでいる。外にある問題が大きくなればなるほど、自分の内にある問題は影を潜めたかのように思えてしまう。彼らが悟り我々が悟るべきは、私の中に神もいればサタンもいるということだ。神の顔を見せたかと思うと一瞬にしてサタンの顔を見せる自分がいるということだ。私という魂の活動の中に善神の働き悪神の働きを見るほどに自分を掘り下げて観察できない者達が特に、今回の様に外の世界に対して極めて批判的態度を取ろうとする。善か悪かという極論を振りかざす。善と思われる行動の中に悪もあり、悪と思われる行動の中に善もあることを見届けることができずにいる。自分の中のカインアベルを認識し、自己矛盾を勝利しようとする位置で初めて外に目を向けることができるのであって、自分の存在の在り様を認識できずにいれば目が曇らされているばかりか、全く違うものを見せられているかもしれない。謙虚だという言葉を私達はよく使うけれど、謙虚の本当の意味もわかっていなければ自分の中で働く生きた言葉とされてもいない。言葉を選ばずに吐き続ける者達が、自分が吐いたその言葉に捕らえられ、自分を益々貶めていることに気付かなければ、その影響は個人に留まらないだろう。悪なる影響を波立てながら全体に及ぼしている。それは御父母様に取って本当に心痛いことに違いない。御父母様のその心痛を推し量れる者であってこそ私は御父母様の息子であり娘だと言えるのに、周りはおろか御父母様の心情をも蹂躙しかねない。中心の位置で混乱しているから私も混乱せざるを得ないと、本心良心の声として叫んでいるのかどうか、自分自身が一番よくわかっているはずだ。
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