2012年1月7日土曜日
春
春の明るい日差しに照らされて、汚れた根雪が溶けてくると、その雪解け水で大地は潤う。潤った大地では水の精が生命を吹き込み、土の精が冬の間眠っていた全ての種子という種子から生命の力を引き出していく。草花の成長に生命を見るように、その周りの環境で植物の生命に関与する、蠢き息衝く霊の生命が生きている。霊的感性に目覚めた者なら、その様子を窺い知ることができる。土の精霊が存在していて水の精霊が存在している。風(大気)の精霊が存在していて熱の精霊が存在している。地上の実体は霊達に取るなら影だ。本質は霊であり地上で人間が五感で受け取るものは影だ。霊的感性が長い間封印されたまま今に至った現代人は、影を本質として受け止めているが、本質は影の背後にある霊だ。私のこの体も影に過ぎない。影の背後にある生命体、生命体の背後にある私の心魂、心魂の背後にある精神こそ私の本質だ。大きくは地球も、岩石や物質の塊として科学的唯物的概念で捉えているけれど、それは地球という影の部分、ミイラとして見ているのであって、本質を見るなら地球という一個の大きな有機的生命体であり、背後に地球心魂があり、そして地球精神が存在している。唯物的な捉え方だと生きて私に働き、心魂で私に働き、精神で私に働く地球を窺い知ることはできない。天地開闢は背後で息衝いていた本質が主体的に迫り出してくる。唯物的な捉え方に固執したままだと身体は益々硬くなっていくだろう。頑なな心魂そのままに身体は硬くなる。真の愛の日差しに照らされて、頑なな精神的背後がほどけてくると、愛の心情で心魂は潤う。天宙的な春がやってくる。長い長い宇宙の冬を潜り抜けて、本当の春が、神様の春がやってくる。
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