2012年1月16日月曜日

サタンの鈎針

どんなに地上にしがみついても、結局この地上から去って行く。私をみ旨に向かわせる意志は、地上的な事柄の鈎針に引っ掛けられて身動き出来ずにいる。あまりにも長い間慣れ親しんでしまった拘束状態に、解き放たれることを面倒だとさえ思っている。自由の翼を手折ったまま、地上に這いつくばったままで、飼い慣らされたサタン的家畜になり下がっているのが地上人間の姿だ。家畜を自由に放っても、家畜に自由の翼は備わっていない。その環境圏が全てだと、永遠に幻想の中に生き続ければそれも幸せだと言う人もいるかも知れない。しかし、それでもこの地上から去って行く。地上的呼吸が生きる全てだと思っていたのが、自由の身になったときに幻想が消え去ってしまう。幻想が消え去るのみならず別の呼吸に拠らなければ存在が否定されることを、その時に初めて知る。深くまで食い込んでいる鈎針を引き抜こうとすれば、強烈な痛みを感じる。歯根の奥深くまで感染すれば、その神経を引き抜いてしまう必要があるように、魂の奥まで堕落性に浸透されていれば、それを引き抜くのは容易いことではない。ありとあらゆる足掻きを経験せざるを得ない。根付いてしっかり執着しているものを引き抜こうとすれば、ここまで自分は醜くなりうるのかと、辟易させられる場面が一度や二度ではないだろう。それでも今地獄を通過しておかなければ、地上を去ったときに永遠の地獄にはまり込んでしまう。生きて地獄を通過してこそ勝利の光は私に差し込む。結局この地上から去って行く。愛を与えて受ける愛の呼吸の訓練場がこの地上だ。解放によって突入できる愛の心情世界を知らずに幻想に暮らしている。乳と蜜の流れるその心情世界が私が生きる本郷の地だ。どんなに執着しても、この地上世界は数十年の仮住まいであり、結局この地上を去らざるを得ない。どうせその時になれば引き千切らなければならない鈎針ならば、少々血が流れ痛みに喘ぐとしても今の内に引き千切ろう。引き千切って自由になろう。そうでなければ私は内的霊的に拉致監禁されたままだ。

3 件のコメント:

matsu さんのコメント...

お久しぶりです。

matsu さんのコメント...

びっくりしますよね。
誰だか判らないのに。
軟式テニス、観音、高木、志村、橋本、、、これくらいで判りますかね。

hanamizuki さんのコメント...

浮かんでいるのですが、、、。
確証がありません。ごめんなさい。
もう少しヒントを。