2012年1月22日日曜日
複数人格
私は私というひとつの人格を備えていると思っているけれど、実際はひとつの人格だけを備えている訳ではない。多重人格者に見るような、病的なほど別々の人格が入れ代わり立ち代わり現れるというような極端なものではないけれども、自分自身をよくよく観察してみるなら、私の中にいろんな人格があるのがわかる。それは誰であってもそうで、自分の中に複数の人格が混在している。人格者と言われる人がどういった在り方をしているかというと、複数の人格を統一的に束ね、良心を中心として統率された意志活動をしている人を人格者と言うことができる。統率されずに入り乱れた人格が野放しにされると、感情に激しく左右されたり、思考が落ち着かなかったりすることになる。古代の霊意識を備えて、自然現象や植物動物人間の霊的な動向を現実として受け取っていた時代から、外に霊を見ていた意識のベクトルを内面に向けることで、霊意識から自我意識へと方向を変えた転換点が洪水審判の時だ。それ以来、外に霊を当然のように見ていた意識が薄れて、科学的な数値や公式が支配する機械的な、魂を持たない自然が外に広がっていて、唯物的な見方しかできない人間になってしまったが、先天時代から後天時代へと転換する現在の転換点は、ノアの時の転換点を逆に迎えている。人間は改めて霊を見るようになる。審判以前の古代は自我意識を備えずに霊を見たが、D-DAYの転換点を超えると自我意識を備えて霊を見る。要するに、堕落人間は自分の中に妖邪な人格が混在するのを見て、強烈な自己嫌悪を持つようになる。だから後天時代を生き残る為には、良心を中心として統一された自己になることが要求される。誰もが良心革命を為して心身一体理想を掲げなければ、誰かから死を脅迫されるのではなく、悪魔の血筋で悪魔の血が流れている自分の存在を自分自身で否定せざるを得ない許しの無い世界がD-DAYを超えると広がっている。真の父母に繋がり、真の父母によって生まれ変わった自分であるという事実がどれほど価値ある立場かと言うのを、死を見ずに生きて実感する私達になるだろう。
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