2012年1月27日金曜日

霊の洪水を航海する

私は私という船で人生を航海している。荒波の中をただ漂い、波に呑まれて翻弄され続けるのを良しとするなら、私は私ひとりだけでいいのかも知れない。しかし幻想ではない真の幸福へ舳先を合わせようとするなら、少なくとも木切れではなく右舷左舷のある船体の体にする必要がある。夫婦という左右を決定させてこそ幸福へ舳先を合わせることができる。さらに船を船として安定させる為には重心を正しい位置に備えなければならない。子女を設け、親子という縦軸を立てて重心を決定させる。家庭を築いて重心が定まらない限り、どんなに帆を張ったとしても風が推進力にはなり得ない。風は荒波を起こすものであるけれども幸福に向かう推進力でもある。立ちはだかる困難苦難をどう利用するかであり、内的な叡智が必要となる。叡智はみ言葉にある。兄弟達の中には、み言葉に接し、み旨を歩むことで人一倍荒波を被り翻弄されてきたと思っている者もいる。いっそみ言葉に触れず御父様に出会わなかったらそれなりに波静かで幸せな人生を送れたかも知れないと思ったりもする。そういった時、当人には真の幸福を視線の先に置いてはいない。成り行きでそうなったこの世の家庭と、真の幸福を目指し真の愛から出発した祝福家庭との違いが見えてはいない。真の父母、真の家庭、真の愛、真の生命、真の血統。真を冠する様々な言葉をみ言葉に見るし我々も使っている。しかし真を冠する言葉と真を外した言葉の違いを曖昧にしか捉えていない。だからこの世の家庭と祝福家庭の違いも曖昧で、さして変わりがないと思っている。真の父母によって、真の愛を動機とし、真の愛が投入される家庭だからこそ乗り越えることができ、真の幸福に向かって航海することができる。そう実感できる機会は益々増えるだろう。人類がこれから航海する海は、今までの凪とは打って変わって、まさしく霊の洪水と言うに等しい霊の暴風雨圏に突入していく。善霊も悪霊も尽く地上に降り下り、濁流となり、真を冠する私であり家庭でなければ、激しく流れ行く時の海を航海することはできない。

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