2012年1月10日火曜日
牡丹雪
久しぶりに雪らしい雪が降った。気温は差ほど低くは無いし湿度も高く、それでこんな大きなボタン雪になったのだろう。ニューヨークにいる息子が正月休みをもらって帰っていたが、明日には仕事が始まると言うのでDCのダウンタウンの駅まで車で送っていった。地下鉄で行けば用無しなのだが、そこは親馬鹿で、片道四十分はかかるユニオンステーションまでわざわざ買って出て送って行った。アパートを出る頃降り始めて、着く頃には本格的に降っていた。行きは夕方で道も混んでいてなかなか進まず、間に合うかどうか焦ってしまったために雪を愛でる気分でもなかったのだが、何とか駅に送り出して一息ついた帰りは、やっと周囲を見回す余裕ができた。店内から漏れ出る電飾の明かりに照らし出されたワシントンの町並みに、大きなボタン雪がレースを重ねたように降りてくる。サークルが交差点の随所にあって迷路のような街路を縫って運転しながら、信号にかかる毎に雪で霞んだ周囲の景観に気分を預ける。30年前に来た当初、この地域の日本レストランに魚を配達していて迷ったり駐車しずらかったりと、当時はこの道路状況に随分悩まされたものだが、時間の制約が取れて運転するとこうも景色が違ってくる。ウィンドウを通した景色に愛おしささえ覚えながらも、それでも心の行先は離れて生活し始める息子に辿り着く。今は高速バスの中から同じ雪が降るのを眺めているはずだ。違う街の違う環境で、伝えきれない親の想いは私に押しやったまま、何の想いを抱えて暮らしていくのだろう。子供が十代の頃には抑えつけもしてみたし泣いてもみた。説き伏せてもみたし頼み込んでもみた。それでも心を開かないのなら、せめてこの降る雪に想いを籠めて、同じ降る雪を眺めている息子に届けられないものだろうか。親がこうも切ないものだと思うと、牡丹雪は滲んで霞んで、私の心の中にも降ってきた。
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