2012年1月24日火曜日

天基三年

天基三年の出発だ。誰もが溌剌と清々しい気分で新年を迎えたいと思うけれども、いろんな思惑が交差して、どうしても苦味を含んだものになってしまう。戦々恐々とまではいかないが、どこか不安で、何か重たいものを感じてしまう。それでも天正宮では、私の抱えている様々な思いとは裏腹に、敢えて否定して突き放すでもなく、かと言って抱擁するでもなく、真の神の日の行事が粛々と取り行われている。その様子を見ながらスクリーンの向こうに合わせて形だけのマンセイを行った。海洋摂理の中心的位置でアメリカの事業に関わって来たが、事業体そのものが危うく、某グループの主管を離れた僅かの店が残るばかりで、その数少ない店に於いても若い息吹も新たな投資も投入できずに、いつ消えるとも知れない灯を辛うじて点している。このままでは、結果的にビジネスはみ旨の為ではなく生活を立てる為だったと判断されても仕方が無いだろう。GDPを超える莫大な借金を抱え、更に資本を大幅に超える帳簿に出てこない負債をどの銀行も抱えながら、世界に通用していたドルが底知れず落ち続け、アメリカ経済自体が崩壊するやも知れない不穏な空気に包まれているのに、ここに立ち続けてビジネスを続けることに何の意味があるのか。アメリカ経済が崩壊するときは、どれ程み旨だと叫んでみても、アメリカに位置している以上共に崩壊してしまう。そんな予想を踏まえながらも、それでも毎日は外的なことに関する限りは昨日と変わらず流れ続けていく。誰一人この流れが寸断されることなど思いもしない。昨日と同じ朝が今日も明けたように、明日も今日と同じ朝が明けると信じている。時間は決して止まることなく惰性的に流れ続けるものだと信じて疑わない。とてつもない何かが起ころうとしている。それは論理としての頭が判断する予想ではなく、五感を超えた感覚に覚える臭いであり、寒気であり、気だるさでもある。ミクロコスモス(小宇宙)である人間の良心を中心とする内的なものが、体を始めとする外的なものを変革すべきであるけれども、そこに無理があるなら、良心の背後にある神様は逆の経路を取ってマクロコスモスから直接地上へ働きかけられる。相変わらず有りもしないことをしきりに叫んでいると言って、2012年も狼少年呼ばわりできるだろうか。

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