2012年8月3日金曜日

講演に参加して

私達がイメージする理想世界から本来願われる理想世界のイメージに向かうように、認識の方向性を示されたのが今回のSTRONG KOREA、STRONG ABELの講演ツアーだと私は思った。蒸し暑かった一日を終えて開演時間に合わせて家を出たが、会場に着いた頃は、夕方からの風が湿った大気を追いやったようで、気温は下がって過し易くなっていた。正直に言うと、長い間ワシントンに居ながら、TIMESの建物の中に入ったのは初めてだった。ボールルームは600~700人くらいの容量だと目算したが、用意された席は全て満たされ講演者を迎えた。アメリカ人受けのいい、理事長独特の落ち着きと説得力で会場は主管された。無理に粉飾された演出もなく、質素ではあるが知的な雰囲気に包まれ、一時間に凝縮された深い内容を力説された。お話の中でもっともユニークだと思われたのは、御父様が神様の位置であり、人類の半分がアダムの位置そして残り半分がエバの位置であるから、歴史の必然として天使長がいなければならないが、それが民主主義政府だと話される。確かに行政に与る者をPUBRIC SERVANTとは言う。天使長は僕の位置であるから確かに言い得ていて、そうであるなら国に扶養援助を受けている多くの食口達は知らないうちに天使長の助けを得ていると言うことになるだろう。自由であるべき私達は、生活扶助や年金、社会福祉サービスそして法と警察権力による保護を行政府から受けながら、無意識のうちに飼い殺し状態に慣らされてしまって、自由であると信じ込まされているだけであって本来の自由を受け取れずにいる。与えられるままを受けて喜び、飼い殺し状態にある民主社会に比べて、理想的社会、理想的国家とは、受身的立場ではなく能動的立場で自由に立つ社会、国家だろう。自由に立つとは競争できる社会環境でもあるはずで、自由社会で善の競争を為していくべきだ。それでこそ自由意志を発揮した能動的人生に違いない。それを思うと、私は祝福を受けた、私は祝福家庭だと思っているだけで安心している受身的意識も、民主社会で受身的に与えられるものを受け取って喜んでいる意識と同じだろう。個性完成への競争、(子女)伝道や善の繁殖への競争、質的にも量的にもより万物を主管していく競争、それでこそ、祝福を受けたことだけで満足するのではなく、見せる実績や私という実体を通して祝福を証し出来るはずだ。祝福を受けた時点で満足したままでは、三大祝福は受け取れない。