2012年8月2日木曜日

再創世

始めに神は天と地とを創造された。地はかたちなく、むなしく、闇が淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。神様の霊肉のからだと言う天と地の創造の起点が創世記の1章1節2節にある。2節の部分を原文でみると、エロヒム(神々)の霊が水の上で抱卵していたというイメージになっている。鶏が卵を抱えて孵化させるように、神霊存在達が霊の熱で暖めながら水の要素が土の要素になるのを待っている。私達人間の中に欲望があってそれを私自身の熱と感じられるように、神様の創造欲望という熱が創造の根源にある。その神様が欲する想い描く表象の実体化のゴールが人間だ。私達がある欲望を抱えてそれを現実化させるとき、そのプロセスをよくよく観察してみるとわかるように、願いが大きければ大きいほど、欲望を強くする為に熱を混入し続けなければならない。熱を混入させて想いを募らせ、煮え滾ってくるとそこに願いの実現へのアイデアや突破口が閃きとして起こる。そしてその閃きは電光が放たれるように天から与えられる。それと同じように、闇の中で霊の熱で煮え滾り、霊的沸点を超えるようになると天から光が放たれる。神は光あれと言われた。ここで理解すべきなのは熱状態の夜が天地創造の前段階にあって、夜の中から進化したものが既に前段階で光になっている。光に進化できなかったものは闇となっている。夜と闇とをはっきり分けて理解しないといけない。さらに地上的感覚的な光ではなく心魂的な光であり、夜も闇も心魂的なものとして霊的感覚で理解できるものであって、それを理解できないと天地創造のイメージには辿り着けない。闇に光が放たれて、ロゴス(精神)が、形態が、リズム(生命)が、受肉できる熱元素の気体化、液体化、固体化と共に実体となって表象されていく。その全ての存在様相に性相と形状、陽性と陰性の二性性相の原理原則が働いているのは言うまでもない。私達食口が理解すべきなのは、神様が天地創造を為されたように、真の御父様は天地の再創造、人類の再創造を摂理をして為されていると言うことだ。真の父母による再創世が為され、真の父母の再創世記が後に記述されるだろう。天地人真の御父母様は神様の位置で真の愛の光を放たれ、真の愛が、真の血統が、真の生命が、私達の霊的なものを中心として気体的なものから液体的なものへ、液体的なものから個体的なものへと孵化するように受肉していく。私の人格完成への想いの中に、家庭を一つにしたい想いの中に、国を求める想いの中に、溢れる熱として神様が息衝いている。

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