2012年8月23日木曜日

日本は、

日本が国として生き延びることがどれほど大切か、切実なものとして理解すればするほど向かい来る試練への舵取りを誤ってはならない。強い韓国であると同時に、強い日本でなければならない。しかし強い日本という意味と傲慢な日本とは異なり、また自己中心的な日本とも異なる。日本は日本として、天が認めて誇れる精神支柱があるはずであり、その柱をしっかりと立てて事に臨むことが大切で、怒りや投げ遣りな感情に押されて判断したり選択したりすると、国土が流れて消え去る前に国家としての存在自体が危ぶまれるだろう。尖閣でどう行動に出るかを中国から迫られ、また竹島(独島)では韓国からも迫られている。今の今、どう行動に出るとしても問題は大きくなるし、もはや棚上げできる状態でもない。国家意志として、行動理由の確固としたものを準備され持ち合わせてはいないし、政府としても国家間の棚上げの期間、問題対処を為せずに逃げるだけ逃げてきて、今袋小路の局面にまで詰められている。だから何の犠牲も払わず事が治まる状態にはない。生命をもって国を護るという気概が日本全体として消え失せてしまった今、惰眠し続けた国民が目覚める為にはある程度のショックは必要だろう。それがどの程度のもので功を為すかはわからないが、大震災でも目覚めないのであれば推して知るべしだろう。周りにいる兄弟達の意見でさえも、一方で主の国韓国に平身低頭的な者もいれば、その一方では国粋主義的な者も多くはないが存在する。一方で韓国に譲り渡せと言い、他方で自国領土を守り抜けと言う。私が思うに、前者は一体化の為に日本は消え失せても仕方がないという無責任さがあり、後者は日韓一体化への日本側からの何らの犠牲も譲歩も差出さないという自己中心さしか見いだせない。日本を希薄化させて泡とするか、日本を凝り固め過ぎてもろくするか、どちらに傾いても日本は生き延びれないだろう。み言葉を知り、御父様の摂理観を知る食口なら、そんな惰眠か酔いしれた感情を基に置くのではなく、もっと本質的な視点に立つべきだ。御父様が、日本が消え失せて本当に御意だと喜ばれるだろうか。父母として立つべきなのに、父の国が残り母の国日本が消え失せて喜ばれるはずがない。しかし日本が生き延びる為には、そして日本が再生する為には、母の国としての本分に立つことが大切だ。日本が母の国としての精神支柱を立てる為には、日本の祝福中心家庭が立つべきだ。日本が母の国としての誇りを持つことができ、威厳も備えることができ、母としての発言を世界の国が耳を傾け、主の国と夫婦の関係で一つになれる、一言で言えるものではないが、そんな新しい国家観、国家像を我々統一食口でこそ見出せるはずだし進言できるはずだ。