2012年8月17日金曜日

今日の想い 441

たまに断食でもすると一日が随分と長い。人間は精神存在であることは確かなはずだが、食を断って長い一日を過すと、本来生きるために食べていたはずが、正直なところ自分は食べるために生きてきたのだとつくづく思わされる。食べ物が恋しいと体全体が私に訴えかけてくる。御父様が大変なこんな状況であっても、弱い自分、自己中心の自分が顔をもたげてしまう。不謹慎だと言われてもどうにも仕方がない。しかし堕落の私はそこからが出発点だ。堕落の私は戦うことを通してしか精誠を供えることはできない。傷一つない真っ白な精誠を備えたいと思うけれども、醜い私も曝け出し、心と体の戦いも曝け出して、その中から精誠を見つけてもらい拾い出してもらうしかない。それを精誠と言えるのかどうかも分からないし、御父様にとって目を背けてしまわれるものなのかも分からない。でも私は精誠の意味をそれしか知らない。だから吐き捨てられるとしても、そうであっても御捧げしたい。だから戦いから逃げるつもりはない。喰いついて、しがみついて、どこまでも掴んだ手は放さない。相手の根気負けだけが私の唯一の戦法だ。戦いの過程で涙は流れるだろうか。汗は流れるだろうか。もし涙が、汗が、私から流れるなら、精誠として受け取ってもらえるのかも知れない。一食ぬいて、二食目をぬいて、始めたばかりの断食で弱い私は既に戦いの只中にいる。思いもよらない不純な発想が、私の内側の深みから醜い面(つら)をもたげてくる。