2013年4月19日金曜日

津和野

津和野は私の田舎からそう遠くないところにある。しかし山また山に遮られていて、一度益田まで出て、国道9号線でまた山間部に入って行かなければならないので、行けば結局小一時間はかかってしまう。帰郷する度に思い出され気懸かりになる不思議な所で、訪ねたい気持ちと離れていたい気持ちが交互にやってくる。その気持ちが何に起因するのかはわかっており、ひとつは供養に訪ねたい切支丹殉教の地、乙女峠であり、今一つは朱色に嫌悪感を覚えてしまう稲荷神社だ。稲荷神社に関しては随分前にも記したけれども、摂理路程のなかで何とも心痛い小さな命の犠牲が供えられてしまった記憶があって、当時のおぞましい私の状態と共に思い出されるからだ。その時の自分は、関係者でありながら何の負債感も覚えてはいなかった。何年も隔てて思い起こすと、事の重大さと御家族の深い痛みに少しは近付けるのだけれども、その当時の私は人間感情もない存在で、そんな私がみ旨だ摂理だと騒いでいた。今回帰郷した折、久しぶりに津和野を訪ねてみた。先ず手始めに森鴎外の記念館に行き、それから乙女峠に向かった。傾斜の急な小川に沿って、苔に覆われた暗い山道が上まで伸び、道が見えるところまで登り切ると尖塔が目に入る。それから右に少し折れるようにして更に登っていくと小さな広場に出る。そこには、先ほど尖塔しか見えなかった供養の為の小さな教会堂、拷問に耐えながらもマリヤ様が共にいて下さることを詠んだ石碑、切支丹迫害とここでの拷問の説明が記された記念碑、檻(おり)に押し込まれた信徒の像と彼が見上げるマリヤ様の像などがある。切支丹の信仰を理解できないと、周囲が鬱蒼と茂る木立に囲まれた乙女峠は寒気さえ感じて不気味さを覚えるだろう。想起する死と拷問への恐怖もさることながら、それをやるのも人間であり、それを甘受してまで信仰を保つのも人間で、そこに人間的なものは無視されて超えてしまうような不気味さを見てしまうからだ。小学校のバス遠足で行った時の私がそうだった。背筋の寒い恐怖感しか残らなかった。しかし今の私は切支丹の信仰と、彼らが神霊を受け取る霊的歓びが少しはわかって親しみを覚える。おそらくその違いがこの世的で表面的なものと、霊的で本質的なものとの違いだろう。津和野藩の拷問は数十人の殉教者を出したが、キリストの愛は彼らをしてサタンが主管する地上の死の概念を超え、霊的勝利を見せ付けた。彼らから輝き出るキリストの愛の光は霊的に燦然と輝き、その輝きはそこが外的に薄暗いからこそより印象付けられる。

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