2014年1月30日木曜日

今日の想い 698

この世で成功者と言われる財を築き上げた人達は、生命力に溢れ生活力に溢れ、人一倍の高い富への願望を持っている。ビジネス(商売)を発展させる活力はそこにある。富への願望を達成した者は地位や名誉への願望がそれに続いている。献身して全てを捧げるというコンセプトで歩んできた食口にすれば、商売の活力である一財産築きたいという願望は、献身して全てを捧げ個人所有一切持たないというコンセプトからは逆になる。献身意識とビジネス意識は所詮ベクトルが逆向きなので、教会の主管の元にビジネスを成功させることは矛盾していることになる。ビジネスではなくファンダレージングとしての托鉢が基であるなら、献金という意味で集金することはできるかも知れないが、ビジネスは托鉢でもなく献金を募るのでもない。しかし、一方で伝道、そして一方でビジネスと言うのは摂理を進める上での御父様の指示であって、献身意識とビジネス意識が相容れないというのはどうもおかしい。私達がこのアメリカで担当してきたビジネス摂理、特に水産流通ビジネスとレストランビジネスが二本柱だったが、水産流通ビジネスは知っての通り乗っ取られた形になり、そして一方のレストランビジネスは献金献金で搾り取られたカスしか残っていない。今残っている担当者の面々を見ると、年を重ねたせいもあるが、成功者や生え抜きのビジネスマン特有の覇気はない。献金も搾り取られてきたが、人間としての生命力、生活力も搾り取られて去勢されてきたかのようだ。それはそれで過去のことだけれども、これからビジネスを発展させる上でどうすべきなのか。ビジネスへ向かうコンセプトは旧態依然のままでいいのか。それともこの世のビジネスへのコンセプトに迎合すべきなのか。或いは新しいコンセプトを切り開くべきなのか。私が担当する店は店で尻に火がついた状態なのに、全体のことを考える余裕もないというのが実情だが、しかし今こそ転換期であり、今やらなければまたぞろ覇気のない、生命力も生活力もない、勿論富とも縁遠い、そんな遅々とした、日の目を見ない、ただ生き永らえるだけのカタツムリから当分脱却できない。教会として伝道を奇跡的に盛り上げ牽引していくヨシュア的人物を見つけ出すべきだが、ビジネスはビジネスとしてのヨシュア的人物が起こらなければ摂理として立ち行かないし証しが立たない。

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