2014年8月13日水曜日
御聖和二周年を迎えて
聖和二周年の意味とは何だろうか。追悼、節目、確認、悔い改め、決意、一体化、、、三万人が集うワールドセンターの様子をスクリーンで見ながら、三万人の一人一人がそんな様々な思いをそこに持ち込んでいるのを見る。さらに私のようにネットを通じて繋がっている何万という食口達からも、様々な思いが持ち込まれている。一同がセンター中央に集中して、そこから放たれるメッセージを受け取り、それぞれの思いにどう刺激を与えられ、どういう内的衝動を起こさせるのか。私達は目の前に壊すべき壁が阻んでいるのを感じているはずだ。この壁を壊さない限り摂理的前進はできない。この二年を越えて前進する為の重要な節目はこの壁に阻まれている。この壁は余りにも大きくて、ある者にはここが終着点のように見えて引き返そうとしている。ある者には壁の向こうが見通せず壊すことに臆病になって足踏みしている。ではこの壁を壊して前進する者が果たしているのだろうか。サタンに執拗に目くらましされて、あるいは別の関心事に誘惑されて、壁を壊すのはおろか壁に向き合おうともしない者達も多い。御母様はこの群れをどう一つにされ、どう鼓舞されようとしておられるのだろうか。御母様はこの巨大な壁の礎石の基をどう外すか知っておられるのだろうか。エリコ城の陥落をヨシュア、カレブに率いられた群れが為したように、私達が陥落すべきエリコ城こそ、この巨大に見える壁をその一部としている。エリコ城の周囲を七回回って一斉に大声を上げ、一気に陥落させたように、私達の鬨の声とは何で、何が私達のその行動を促すのだろうか。明らかに世界崩壊に向かっている。しかし、あらゆる危機感を誰もが感じている一方で、不思議と経済体制の崩壊も社会体制の崩壊もこれといった引き金となるものを見ない。いや、見ているのだろうがどういう訳か何とか持ち応えている。兎に角、二周年を越えた。基元節も直ぐ二周年を越える。サタンは七数を越えられなかったが私達は七数を越えなければならない。2020年までの七年路程勝利に向けて、象徴的に越えるのがこの聖和二周年だろう。霊的に何も見えないような、何もわからないような、自然消滅するかのような、そんな混沌状態であっても、それでも霧は所々で薄くなりかけ僅かでも見通せる。霧が晴れればエリコ城は明確にその姿を現す。私達が陥落させるべきサタンの城郭の全貌が見渡せる。そして私達は一体となって鬨の声を上げ、エリコ城の陥落を目の当たりにする。モーセがカナンの地を目前にして、ヨルダン川を渡ることを許されなかったように、御父様も実体の地上天国を目前にして聖和された。それは神様と一体となっておられる御父様御自身の意志だと私は思っている。基元節を迎える数年前、御父様が泣かれて逝かなければならないことを言及されたのを覚えているだろうか。それも一度の事ではなかったと思う。御父様のそんな御姿を面前で表されるのは過去になかったことだった。御父様が旅立たれた後の事を、御母様とアベルカインの子女達に託さなければならないことを解かっておられて吐露された御姿だったはずだ。今振り返るとそのように思える。私達はこれから、世界的エリコ城の全貌を視野に置き、サタン主権世界を陥落させる。その出発摂理の二年目、長成期完成級を象徴的に越える聖和二周年だ。
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