2014年8月26日火曜日

今日の想い 780

昨日は昨日で問い、今日は今日でまた問う。変わらない現実を変わり続ける一日圏一日圏から問い続けている。今日こそは現実を変え得る霊の閃光が私を貫いて欲しいと、その切実感が今日一日をして私を問いに向かわせる。遠の昔に諦めて当然の私でありながら、今の今まで諦めずに何とか希望を見出そうと問い続けているのは、それはもはや私自身の欲求だとは思わない。み旨に向かう私の基準が霊界での先祖の在り様を決めると言われるように、私のみ旨に対する思いだけはあるから、断念することなく問い続けるのであり、問い続ける衝動の中に血統的な働きを見る。先祖の協助と言えば随分オカルト的な働きを想像するけれども、私の想いの中に、思い入れの中に、私自身の衝動だと認識していたものが、実は血統的に流れるものに組する霊達の総合的な衝動を私自身の衝動と感じているに過ぎない。私の想いが先祖の想いであるし、先祖の血統的に流れてきた想いが私の想いでもある。私は私の衝動を通じて霊と共に生きている。先祖と共に生きている。この認識感覚をいつも、いつの時も忘れることなく抱き続けて、私は血統の代表的な位置でみ旨に対している自覚を強く強く持つべきだ。私が真の父母に出会い、実体み言であられる御父様、聖霊実体であられる御母様から戴いた祝福の血統に繋がれたことは、血統の中に堕落の血が流れてそれ故に地獄圏から抜け出せなかったこと、み旨を標榜し蕩減生活を為すことで地獄圏から天国圏への橋が架けられたこと、霊界での修練会を通してそれを熟知する先祖の霊達にとっては、私という存在は血統の歴史的転換点だということができる。私という存在がどれほど重要で、私と共に歩むことがどれほど重要であるかは先祖達は身に染みてわかっている。船上会議で御父様は、反教会の方向に突進していた責任者に対して、彼の先祖が哀しんでいると言われたのを聞いたことがある。霊的無知故に血統圏にある先祖達の想いが地上で感知できないのは実に残念で、悟性の人間から霊性の人間にならなければ先祖を救うメシヤ的使命を受け取っているとは言えない。どんなにみ言葉を知識として知っているとしても、堕落の自分の都合のいいようにみ言葉を利用してしまうこともあり得る訳で、そうなるとみ言葉で裁かれないとしても心情で裁かれてしまう。私は今日も問い続ける。いや私ではなく私の中で生きている霊達が乾きを訴えるように問い続けている。私は御父母様に繋がっていて真の血統と先祖の血統の仲介の役事を果たしている。み言葉を通して、蕩減生活を通して、み旨を歩むことを通して、愛して為に生きる実践を通して、現実という畑の中に彼らを癒し復活させ地獄圏から開放させる生命の木の養分を与えるべく、使命的責任を背負って地上に存在している。問いは解決しなければならない。解決して霊の解放をしなければならない。今日も霊達が問い続ける。渇きを訴えるように問い続ける霊達への回答は、地上の私が御父母様一体圏の中で差し出さなければならない。岩だらけの現実という畑が耕されることで、現実のいたるところで霊の生命を蘇生させ得る肥えた畑にしなければ、霊達は問い続けるばかりで復活した賛美の歌を天に届けることはない。

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