2014年8月3日日曜日

今日の想い 771 ( 神様と人間の生殖器 )

「絶対信仰、絶対愛、絶対服従は生殖器についていう言葉です。堕落とは、神様と人間の生殖器が一つになれなかったことです。合徳(和合)できなかったのです。それを絶対信仰しなければなりません。私の家庭の歴史の柱であり、私の一族の歴史の柱であり、私の血統の歴史の柱だというのです。」天聖経、第二節人間の堕落から
堕落は天使長とエバの生殖器がひとつになったからであり、神様と人間の生殖器がひとつになれなかったことによっている。神様がアダムの体を着てエバの生殖器とひとつになるべきだった。このみ言葉の絶対信仰しなければならないという言葉の前後が脈絡のない言葉のように思われるが、神様と人間の生殖器が一つになる、合徳するとは、歴史の柱とすることが縦的な生殖器の合徳(神様と人間の合徳とまでは断言できない)を意味していることがわかる。それを絶対信仰しろと言われている。生殖器は横的に使用するに於いて家庭の歴史であるとか一族の歴史であるとかさらには血統を踏まえた縦的なものを立てろと言われている。神様と人間の生殖器がひとつになることを理解するには、そこに感覚的なものを持ち込もうとすると既に横的地上的にしか理解しようとはしていない。絶対信仰、絶対愛、絶対服従は神様に対して、或いは神様と一体となられておられる御父母様に対しての私達の在り様として語られたみ言葉だという理解がある。それが生々しい生殖器についていう言葉となると、どうしてもそこに性という感覚的なものが先ず観念としてあるから、絶対信仰、絶対愛、絶対服従が迷宮に迷い込むようだが、生殖器の縦的な在り様は血統の歴史の柱だという生殖器の本質を知り、生殖器の概念が変わらなければ上のみ言葉を理解することはできない。御父様が生殖器の御話をされる度に、これは笑うような話ではないと何度も注意された。それは照れ笑いしている私達を見て注意されたのだが、私達の生殖器の観念が照れ笑いさせている。感覚的生殖器からイメージするものだけを内面に持っていて気恥ずかしさをを覚えている。御父様の生殖器の概念と私達の観念は根本的に異なっている。個性完成、人間の創造目的の完成とは神人一体化であり合徳であり、み言葉を尋ねていくとそれは人間が神様の生殖器そのものになることではないかとさえ思えてくる。

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