2014年8月19日火曜日

今日の想い 777

共に歩む兄弟は店を地域貢献という観点で捉えている。私達食口が地域に根差し、地域に貢献することで伝道が進むように、利潤追求の店であっても地域の為に生きる姿勢が大切だと捉えている。それは確かに正しい。私達の今までの歩み、特に一世の歩みは、期間内に果たさなければならない摂理として、サタンに奪われず天が取る条件物を供えることを優先してきた。いや専念してきたから地域貢献など眼中になかった。テッペンを取ることに専念し、底辺から信頼を積み上げていくことは事実上疎かになってしまった。そう見れば、ひとり、またひとりと伝道していくように、地域貢献に立ち返ることは正しい。しかし実に地道な展開になってしまう。摂理貢献の兵隊的役割をここまで担ってきたから、地域に受け入れられる人格的内容も実力も基盤もない訳で、この世的には何もない位置からの出発となる。だから地道な基盤作りにエネルギーを注がなければならなくなる。そうこう思案しながらその体制を整える内に、内に燃えていた熱いものが冷えていく。そして引き上げるべき私であるはずが逆に地の事情に引き下げられ、カナン七族に同化されたイスラエル民族のように同化てしまう。ではどうするか。いろんな意見はあるだろうけれども、私はカインの本道を歩む。地域にすり寄るのではなく地域から羨望の目で見られる地位を立てる。地域の人々に貢献する教会的存在ではなく、地域が崇める神殿を立てる。言ってる意味がわからないかも知れないが、人々が既に持っている価値観に則して与えようとするのではなく、人々が持っていない新たな価値の創造をなして彼等を引き上げる。私達には天の父母様が共におられるはずなのに、どうして人々が見上げる価値の一つも創造できないのだろうか。それは御父母様が問題なのだろうか、それとも私達が正しく勝利圏を相続していないからだろうか。私達の中に確実に文化的価値として芽生えるものが秘められているはずだ。霊的感性が低い為に素通りしているけれども、気付いてみればこれがそうなのかと言えるようなものが確実にあるはずだ。外に外に目を向けて追い付け追い越せでは新しい価値創造ではなく、既存の価値観に則している。既存の価値観にひれ伏している。この世は全て、偽りの愛から出発している偽りの愛の実と捉えるべきだ。私達は真の愛から出発するのなら、真の愛を根とする新しい生活、新しい文化を創造しなければならない。この店には新しい文化がある、真の愛に根差した価値創造をこの店に見る、と言わせなければならない。

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