2009年2月1日日曜日
今日の想い 50
自分の中で囁くものがいた。死やまだ見ぬものへの恐怖を手玉に取りながら、自分に囁き続けるものがいた。厠までの暗い廊下を何歩で歩けと命令し、畳の隙間に足を置くなと命令し、寝床の方角を指定し、あらゆる指図を背後から言い付ける。化け物が来る妖怪が来ると知りたくも無い事を教え、軒下に置かれた灯油缶に得体の知れぬものがいることを告げたりする。自分の頭に浮かぶ脅迫的全ての事柄は別の何かの存在が語っている事で、自分自身の妄想だとは信じれない。自分の肉体でありながら自分とは別物が支配しようとする。別物が自分を追い払おうとしこの小さい肉体に住まおうとする。自分は追いやられ苛まされ不安と恐怖の中に埋没する。終りのない溺れ状態で霊の身体をくねらせ仰け反る。そんな地獄がどれ程続いただろう。気を許せば今でも足を引き摺り下ろそうとする存在が背後に待ち受けている。僅かの条件でも奪ってやろうとへばりつき待ち構えている。どれほど解怨しようともその存在は負債を覚える毎に存在を誇示する。その存在故にみ旨に向き合えたことも事実であるが執拗に付き纏われ辟易する。同じ基準であればこそ相対するその存在は、鏡に映された自分でもある。この存在が背負わそうとする不安と恐怖を取り払わせる為には、自分自身をみ旨に邁進させる以外の取引条件はない。白状するなら本心の喜びとしてみ旨に関わってきたのでなく、恐れと不安に追いやられてみ旨に関わってきた。自我が失われ主人不在の身体であったものがみ旨に関わると言うことは、それを意味する。しかし自我を見出し取り戻す事が今は為せるのだ。勝利された真の父母に完全帰依することで自我を取り戻せる。取り戻した分、その存在は影を薄める。
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