2009年2月21日土曜日

今日の想い 60

堕落世界は唯物的自己中心的世界である。価値基準を金やものに置いているのであり、判断基準は自己中心の自分にある。日々の生活の中に於いて、全ての思考、感情、意志がこの信仰に浸透されている。み言を通して価値の本質を知らされてはいるが、堕落の価値基準、堕落の判断基準が魂に染み付いているので、既に生活の中に習慣化されていてそれを否定する事は死ぬ事に等しい。み言による信仰を選んだということは死ぬ事を選んだということだ。み言によって触発された、しかしまだ虚ろにしか見えぬ本質の自我を自分とし、この世の自分とは決別することを選んだということだ。それがどういう意味であるかを信仰生活を辿りながら知らされる。自分の内なる中で戦いが繰り広げられる。真の父母との微かな因縁を頼りに、自分が住まうこの世を牛耳っているサタンの群れに戦いを挑むことになる。内面の熾烈な戦いに怖気付き、肉身と肉心の故郷であるこの世の自分に留まろうとするなら、それはこの世の君達が必死でこの身を引きずり戻そうとさせた結果であり、その結果を見てサタンはほくそ笑む。摂理として天からの要求が届けられ、サタンに挑む前線兵士が我々ひとりひとりであり、戦場は我々の内なる世界だ。天の摂理を受けるとき、先ずこの事実を祈り、尋ね、熟考しながら捉えることが必要だ。自分に染み付いているこの世の思考判断や感情反応は、摂理がこの世の安全圏を脅かすことで、大変だ大変だと言うネガティブな在り様に満ち満ちている。それは既に負けを意味している。闘わずして白旗を挙げている。振り回されるであろうこの世的自分を如何に説き伏せるか。それこそが自分に住まいこの世を支配する霊との戦いの初戦なのだ。

0 件のコメント: