2009年2月18日水曜日

今日の想い 58

昼の光で万物の印象を受けるのとは違う、月に照らされることで万物の別の印象を受け取る。人工の光が電飾や家々から放たれ、夜空から降り立つものに対するバリアをかけている。余程人里離れた所に赴かないと、月に照らされる地上界を見ることはできない。空気が冴え渡った満月の宵、降りかかる月の光でどれほど万物に対する印象が変わるかを、今の子供達は知らない。唯物的にしか見ることができない日の光と、人工の光しか知らない者は、その魂の感情の在り様に深みが見られない。物事に対するものの見方に繊細さを組み入れることが出来ず、情に対する感受性も浅い。月の光は、日の光では目立たず隠れている、万物の在り様の別の一面を明るく照らし引き出す。日の光をプリズムを通す事で、一様に思える光もいろんな光存在の集合体であることがわかる。その一つ一つの光存在が、一つ一つの役割を担って人間に関与している。月に反射されて届く光存在は、太陽光の陰性存在が集約されている。子供の頃、よく母に連れられて夕べの法要が行われる寺に出掛けた。出かける時は西の空が茜に染まる頃であっても、一通りの行事が終り精進料理を頂いて帰る頃は、辺り一面宵に覆われ月も高く上っている。灯篭の薄い光で輪郭をなす山門を潜ると、寺の光は届かない。小さな懐中電灯を頼りに足を進める母の後ろで、頭を母の尻に付けるようにして歩いた。暫く歩くと目がなじんでくる。小路の横からせり出す草木が姿を現し、程なく田畑の広がりや周りを囲む山々が輪郭を見せる。上空を仰げば月は夜目には眩しく、月の青い光で夜空を照らし地上を克明に照らし出す。同じ景色でも昼日中に見る草木や山々とは違う、別の様相を月の光が照らし出す。今にも山は動き、草木は踊りだすかのようなありようだ。光を遮ることで現れる自分の影を追いながら、月から届く月光の精を内側に受け取ると、遠い遠い過去の人間が持っていた本能的記憶が蘇る。宇宙のリズムが、四季に委ねていた頃の生き様が、体の中で活き活きと蘇る。

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